バガンを振り返って、そしてビルマを思い出す
バガンでは、あまりにも多くの文化を背負った歴史に接してきた。ミャンマー屈指の仏塔や寺院を誇るバガンを歩き廻って心身ともに充実し、そして疲れた。今まで見てきた11世紀から13世紀を中心とした仏教資産は、バガン王国の興隆からフビライハーンの侵攻による没落までの250年余りにわたって建設されてきたものだ。一部は考古学保護区に指定されている城壁に囲まれている部分は、「一種の保護区・オールド・バガン」と呼ばれている由緒ある所で、今(2021年)、改めて思い返している。
個人的なことであるが、私にはミャンマーには特別の思い入れがある。一つは「映画・ビルマの竪琴」であり、もう一つは1979年英国のTRRLにいた当時、家族と一緒にカーディフ城を訪ねた時の印象である。1980年6月、協会誌に掲載された若かりし頃の文章であるが、ここに再掲したい。
イキな道路技術者(1980年6月に某協会誌に掲載された文章から抜粋) 『Fishguardからの帰りに,かつてのWalesの首都Cardiffで一夜をすごした.Cardiff城で毎年行なわれているSearch light Tattooには数日間早すぎたが,ヤギを先頭に行進する軍の雄姿を見る機会を得た.多くの地元の人々が涙を流して声援する光景は筆者には何とも説明しがたい複雑な気持ちになった.そして,巨城Cardiff城内にあるThe Welch Regimertに入った時に観たビルマBurmaにおける日本軍との交戦の記録,戦利品として展示されている“Wood Pecker” Machine Gun(九二式重機関銃)を観た時には,さらに複雑な気持になったことは言うまでもない.若い世代はともかくも,かつて戦った世代には不幸な戦争の傷あとがいまだ消えずといった印象を受けた.しかし,Cardiff城の地下にあるローマ時代の城壁を観た後,誤って非公開の場所に入った時に軍の関係者が「気にするな」と言って笑顔をふりまくほど英国人は寛容であることをぜひつけ加えたい.』(以上)
最近の(2021年の)ミャンマー(ビルマ)の国の状態が心配である。いかなる場合も、国軍が国民に銃を向けてはいけない。暗い文章になってゴメンなさい。
バガンからインレー湖へ
楽しかったバガンに敬意を表しつつ、今回のミャンマー旅行の楽しみに一つ、市場巡りに向かいたい。市場があって、物が売られていて、…、ということになってしまうが、市場巡りの楽しみは、確かに物とお金のやり取りなのだが、本質は、“丁々発止”、“心のやり取り”だと思う。私の表現力では、散文的な文字を並べ、近頃ではデジカメ画像をはめ込む、一種の表現の堕落になっていることを深く反省している。ある意味では、文章の裏に隠れた個人的な思い出を綴っているのかもしれない。すみません。
今日も、ミャンマー屈指のマーケット市場であるインレー湖へ行って思い出を集めてきたい。
記憶喪失
ブラブラしているうちに、小さな町をいくつか過ぎて、今の時間は約17時半。側にボート乗り場があり「ジプシーイン」と書かれたゲストハウスで宿泊することになった。実はバガンで宿泊したゲストハウスと親戚にあたる宿屋であった。恥ずかしながら、このあたりの記憶が無く、バガンからご一緒した誰かが書いてくれた私のメモ帳に「ゲストハウス名」、そして「ニャゥンシュエで最も古いヤダナマンアウン・パヤー」と英語で書かれたメモだけが情報であった。そして、私のカメラには「ボート乗り場」、「ヤダナマンアウン・パヤー」、「夕焼け」、「ディナー」等の写真が残っていた。私が確かに訪ねたという証拠である。
心機一転インレー湖巡り
何とか記憶を繋いで、今日は、心機一転インレー湖巡りに出かける。インレー湖は、南北に22メートル、東西に12メートル、平均深さ2メートル。雨季でも6メートルである。インレー湖で漁業を営むインダー族は、細長いボートのへりに片足で立ち、別の片足を使ってオールを見事に操る。今回は、そのシャッターチャンスを逃して残念。
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マーケットから移動
マーケットから移動して、職人街みたいな所へ移動する。目的の一つは、金属製のリングをはめて首を長く見せるパダウン族の女性を見たいことと、その機織り(はたおり)技術を見たいことである。