マカオ
マカオは、マカオ半島、タイパ島、コロアン島からなり、3本の橋でつながれている特別行政区である。1999年12月20日に120余年のポルトガルの統治から中国への主権返還がなされた。広州からバスで行くことも出来るので、身近な旅行先として人気が高い。
マカオの食事
日本人にとっては、マカオと言えば、「中国政府によるカジノが唯一認可されている行政区」であろうか?私が宿泊したホテル、珍しく立派なホテルだったのだが、カジノがあったが、宿泊のみの客と動線が厳然と分けられていたので、カジノの様子は分からない。
カジノに興味が無くても、地元の料理も楽しめるせいか、レストランや居酒屋風の食堂に日本人が屯している。そしてポルトガルは、かつては日本に大きな影響を与えたこともあってか、ポルトガルの統治下であったマカオは日本人に人気が高い。
私は、これまでにポルトガルに何度か足を運んだが、親日的な人々に惹かれ、また、食の嗜好が口にあって、特に塩味を中心とした魚介類が大好きである。勝手に“漁師味”と名付けて、日本から出かける方々に推薦している。ラッキーなことに、マカオの味付けがポルトガルのそれに似ているのである。そもそもよく考えてみると、中国の広東地方の一漁村であるマカオが“漁師味”を残していることは、当然と言えば当然であると言えよう。
三平汁
私は、日本国の北に棲む人間であるが、最近では昔ほど見られないが、「三平汁」と言う郷土料理がある。塩で寝かした(塩漬けにした)サケやニシンなどの魚と野菜を一緒に煮込んだ料理であるが、底の浅い大き目の皿、「三平皿」で食べるのが一般的である。松前藩の藩主が狩りに出た際に、斉藤三平という漁師の家であり合わせのものを煮こんだ食事を供されたのが、その起源であると言われている。
勝手な理屈になってしまいそうだが、皆さん、マカオにお出かけになった際には「三平汁」をお試し下さい。うんちくを傾ければ、地元民に受けること間違いありません。本当においしいのですから。
海が出てきたので最初の写真は、海の女神、媽祖を掲げたい。
セナド広場
ツアーなどによるマカオ観光の出発点となっているセナド広場Largo do Senadoは人気の広場である。実は、道路を学ぶ者にとって、ポルトガルは石畳やモザイクタイルで著名な国であって、そのせいもあって、ここマカオの石畳は職人が勉強をする場でもあるのだ。別の道路関連の協会誌に頼まれて上梓したフォト・エッセイ(本ブログの『旧写真旅行記No.14 世界の道-ポルトガル中部から北部へ~ポルト・アヴェイロ・コインブラ・バルセロスそしてブラガ~、2003年04月』)に御紹介したように、繰り返しになるが、ポルトガルのタイル装飾アズレージョが施された壁は世界的に著名なのである。
話をマカオに戻して、ポルトガル風の石畳とパステルカラーの建築物が映える小さな広場、セナド広場を是非訪ねて欲しい。仁慈堂大楼が建つ腕っききの職人達により作られた波状の地面の鮮やかさは、見逃せない。
聖ポール天主堂跡
1582年に聖アントニオ教会付属の礼拝堂として建てられたが、1601年の火災で焼失。翌1602年から30数年をかけて再建するも1835年に焼失。現在はファサードと階段壁の一部のみが残っている。下の写真のアップ画像に見られるように、壁面の真ん中に配置された聖母マリア像、マリアを囲む天使、悪魔、竜、花々などの像から、これまた目が離されない。