北インド・マトゥラー&グワリオール

マトゥラーへ
 ネパールのカトマンドゥから首都ニューデリーに戻ってきた。帰国まで数日間予備としてとっておいた時間があるので、デリーの雑踏を避けて近場の町へ日帰り観光をしようと思う。旅行資料は持っていないが、日本を出る前に友人から勧められたマトゥラー(Mathura)とグワリオールの様子をホテルのマネージャーに聞いたところ、「祭りもやってないし、のんびりブラブラには丁度良い」と、ウィンクされた。「のんびりブラブラには丁度良い」と書いたが、どんな英語を使われたか覚えていない。
 帰国してから調べたのだが、今後の旅行を計画している方々のために、ここにマトゥラーについて略記したい。マトゥラーは、インド北部のウッタル・プラデーシュ州にある都市で、首都ニューデリーから145キロメートルほど南に位置する。幹線が走っているので、列車は多数あり、マトゥラー・ジャンクション(Mathura junction駅)とマトゥラー・カントメント(Mathura Cantonment駅)、略してマトゥラー・カント(Mathura cantt駅)がある。バスも分かりやすく、Old bus standとNew bus stand行きがある。
 外国人が切符の手配に多用するDelhi Station (外国人専用窓口)では当日券は買えなかったが、通常の窓口(カゥンター)の60~66 番窓口で入手できる。デリーからマトゥラーまで列車で2時間である。役に立ちましたか?

マトゥラーとは
 マトゥラーは、ヒンドゥー教7大聖地のひとつとされる町で、ヴィシュヌ神の化身であるクリシュナKrishnaがここで誕生したことで知られる。ホテルのマネージャが言っていたが、クリシュナの誕生を祝う祭り(ジャンマシュタミー祭)が8月から9月頃に行われ、多くの信者や観光客が訪れる。宗教上の理由から当然のことだが、飲酒禁止であり、また、信徒の食事はほとんどがヴェジタリアンである。インドを長期間旅行していると慣れてしまうが、“ヴェジタリアン”とか、“ノンヴェジ・レストラン”などというレストランの看板が日常的に目に入る。ヒンドゥー教はインドに昔からある土着の宗教であることから、生活の基本である食事と密接に関係するのは、至極当然である。“ヴェジタリアン”も宗教と言うか、心の思いが日常生活に根差しているのである。
 さて、このブログのスタートに、『わたしのこと』と題して、「方向音痴。国外徘徊老人。携帯電話所有歴無し」と書いた。ここマトゥラーにおける旅がその典型であり、証左である。モバィルも資料も持たないで、初めて訪ねた街である。知らない街を歩くコツは、人々の流れについて行くことである。「悪い奴に…?と心配しないのか」とよく聞かれるが、集団は得てして安全で、個人で近づいてくる方が要注意である。今日の「人の流れ」は、ヴィシュヌ神の巡礼の一大中心地と言われるクリシュナ・ジャンマブーミー(Krishna Janmabhumi)への流れである。クリシュナ生誕の地と言われる丘の上にクリシュナを祀る「バグワット・バワンBhagwat Bhavan(1982年建立)」が建つ場所で、この総本山に「人の流れ」が続いているのである。

クリシュナ・ジャンマブーミーの入口
クリシュナが生まれたバグワットバヴァン寺院

ヴリンダーヴァン
 マトゥラーから約15キロメートル北にあるヤムナー河畔の古い町、ヴリンダーヴァンVrindavanはお勧めです。農家のおばさんの馬車で一人Rs10でした。信じられないくらい安いので、多くの客はRS20を支払っていた。おばさんの英語?は単語?を並べる故に分かりやすく、ヴリンダーヴァンは小さい頃のクリシュナが育った所である。興味を引いたのは、ヴリンダーヴァンと呼ばれるにぎやかな参道を超えると見えてくる「ヴリンダーヴァン寺院」である。「寺院見学は今日の観光の本命」と手を叩く前に、馬車に乗っていたみんながびっくりし、私も歓声を上げてしまった。
 くどくどと説明しません。たった3枚の写真ですが、お楽しみください。

インドでは首都のデリーと言えどもロープで繋がれた牛を見ることは珍しい。それを田舎で初めて見てしまった。みんな、びっくり、そして笑った
放し飼いの牛は見なかったが、代わりに町を歩いている放し飼いの豚を初めて見てしまった。みんな、びっくり、そして笑った
と思う間に、次はこんなのだった。これらの動物を探してカメラに収めたのではない。この数分の間に偶然モデル達が次々と登場したのだ。みんな、びっくり、そして笑った

そして驚くことをもう一つ
 以下の写真の3枚目に出てくるヴリンダーヴァン寺院ゴープラムは、南インド風のドラビダ造りを彷彿とさせる。自分が北インドにいながら南インドにいる錯覚を覚えてしまったのだ。どう見たって南インド風の建物である

ヴリンダーヴァンの参道
南インド風のドラビダ造りを彷彿とさせるヴリンダーヴァン寺院ゴープラム
ヴリンダーヴァン寺院の一部をこちらの建物の開口部から切り撮った
バンケ・ビハリ寺院

翌日、グワリオールへ
 明日はいよいよ帰国である。インドの観光最終日と言うことで、時間はかかるがデリーからマディヤ・プラデーシュ州、グワーリヤル県にあるグワリオールGwaliorへの日帰り観光に出かける。
 私自身、グワリオールの歴史については皆無に等しいので、超高速かつ超簡単にまとめた数行をここに記したい。グワリオールは元々はヒンドゥの王国であったが、1232年にスルタン・イレトゥミシュに征服されてイスラム化を余儀なくされた。1486年、「ラージプート」のマーン・シングが奪回して現在の城郭を築く。1516年、デリーの「ローディー朝」に奪われるが、その後「ムガール帝国」に支配され、1754年、マラータ王国に奪われる。1804年、東インド会社に支配されて英領時代にもグヮーリオル藩王国として存続した。このように、目まぐるしい変遷が続くのであるが、その中でグワリオールは1,000年の歴史を生き抜いてきたのである。
 ニューデリー06時00分発の超特急12002 New Delhi Bhopal Shaltad Exp.(金曜日は運休) でグワリオールに09時28 分に到着(運行時間;3時間28分)する予定の乗車券だ。今回の一連の旅行で、約1か月前にインドに入国した折に、最初に入ったニューデリーで予約しておいたので問題無く取得できた。
 この約1か月間のインド~ネパールの一人旅行で、熱さと人いきれで相当に疲れがたまっているので、さすがにグワリオールで降車後すぐに駅から坂道を登る気力も体力もない。帰国前日などの特別な日は、特に気を配らなきゃいけない。と、言うことで、駅前に(インドでは珍しく)整列しているリキシャーの1台に乗って、高台に向かって石畳の坂道を登ることにする。

駅前にオートリキシャーが整然と並んでいる。インド旅行を経験された方々は恐らくお笑いになると思います。この写真はある意味で超レアモノなのである
オートリキシャー、二人乗りバイク、軽トラ等々、ラゥンド・アバウトを走る車両は、まさにインドの車両総出演の風景である 

 その坂道であるが、高さ100メートルほどにそびえ立つインド特有のプラトー(Plateau)と呼ばれるテーブルマウンテン(固い地盤だけが台形状に残った山)が約3キロメートルも続く。その一角に、1486年にこの地域を支配下していたラージプート、トマール族のマーン・シングが築いた中世の古城「マーン・マンディル」(グワリオール城塞)がある。城郭は南門を経由してから120メートルほど続く。高さ100メートルのテーブルマウンテンの壁面にはジャイナ教の石像がたくさん彫られている。石像の名称等は定かではないので、説明の無い写真の列挙が続くが、ご勘弁下さい。
 その前にちょっと。「インドと言えば象さん」と打ち込まれているせいか、皆さんがジャイ・ヴィラース宮殿の案内人(像)の象さんを見つけて写真を撮り始めたので、私もちょっと寄り道をしてパチリ。

ジャイ・ヴィラース宮殿
 ジャイ・ヴィラース宮殿は、1874年にグワリオール藩王ジャヤージー・ラーオ・シンディアが建設し、以降、藩王の宮殿として使用された。現在、宮殿は旧藩王の一族の住居として使用されており、また一部は博物館として一般公開されている。

人気のあるエレファントゲート。ジャイ・ヴィラース博物館(Jaivilas Museum or Jai Vilas Museum)への案内
一対のもう片方のエレファントゲート
ジャイ・ヴィラース宮殿。ジャイ・ヴィラース・マハル(Jai Vilas Mahal)とも呼ばれる
宮殿内の庭

寄り道を終わって城塞へ
 大変失礼しました。象さんへの寄り道を終わって城塞へ向かいます。次第に近づく平地から切り立った台地状の城塞はとても力強く、見上げて写した写真も迫力がある。(勉強不足で)グワリオールの城塞に関する情報を持っていなかったので、素晴らしいものを見せてもらって凄く得をした感じである。お勧めです。

城塞へ登って行く途中、遠くから見上げて写したグワリオールの城塞。平地から切り立った台地状の城塞は力強い
「グワリオール城塞へのご訪問、ありがとうございます」とある。「こちらこそ、ありがとう。楽しませていただきます」  
テーブルマウンテンの壁面に数十メートルに亘って彫られたジャイナ教の彫刻が続く。15世紀に彫られたと言われている
許可無く進入禁止。これから、博物館や宮殿が美しいエリアへ移動します
「考古学博物館」および「グワリオール城塞」への案内掲示板
グワリオールの城塞。黄色く輝く砂岩とターコイス色(緑がかった青色)のタイルの象嵌がとても印象的なマン・シン・パレス。ラージプートのマン・シン時代(1486~1516年)の1508年に マン・シン という王様が建てた宮殿である

 

6つのドーム状の塔、地上2階、地下2階建てのヒンズー建築を代表する建築物である

 

考古学博物館。自動芝刈り機が丁寧な仕事をしている
展示室 1の入口
屋外の展示
「マン・シン・パレス」の説明
パレスの美しい模様と色彩の組み合わせ
美しく重厚
街を見下ろす
もう一枚、高台にある城塞と街
さらに一枚、城塞から街を見下ろす

サス・バフー寺院
 私は、「そもそも論」を語るほどヒンドゥー教について詳しくはないが、大まかに言うと、ヒンドゥー教は、世界を創造する「ブラフマー」、それを維持・運営する「ヴィシュヌ」、破壊・再生する「シヴァ」の3つに位置づけられる。それぞれは神格を拡大することによって、いわゆる派閥を拡大するわけだが、中でもヴィシュヌ神は、他の神を己の化身として位置付けてその拡大を図り、シヴァ派を大きく上回っている。
 さて、話をグワリオールに戻して、崖の切り立った所に2つのヒンドゥー寺院が建っている。1093年に建てられたサス・バフー寺院(Sas Bahu Temple)である。サスは「義理の母親」、バフーは「義理の娘」の意味で、二人は仲が良かったが、義母はヴィシュヌ神を、義理の娘はシヴァ神を信仰していたため、二つの寺院が隣接して建つことになる。
 入口の門の上部には、先に述べたヒンドゥー三主神(ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ)とそのご婦人方(順番にサラスワティ、ラクシュミー、パールヴァティ)の彫刻が残っている。

サス・バフー寺院(Sas Bahu Temple)

 

入口の門の上部にブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァとそれぞれのご婦人の彫刻が残っている
サス・バフー寺院上部
敷地奥に建つバフー(義理の娘)寺院
「テリ・カ・マンディール(Teli Ka Mandir)」の説明
9世紀頃に建てられたとされるテリ・カ・マンディール。ピラミッド状のシカラ(高塔)が特徴的なこの寺院は南インドの建築様式を彷彿とさせる

ブッダの道・ブッダ・ガヤー

ブッダの道
 今回の一連の旅は、テーマと言えば大げさであるが、私には珍しく“シャカ(釈迦)”に関係した地域を一部ではあるが旅程に入れて計画してみた。論文風に表現するならば、“仏教における重要な仏跡”を訪ねてみたいと思っている。既に、本ブログの「タイトル;北インド・ボーパール&サーンチ 四度目のインド」でご紹介しましたが、仏教における重要な仏跡を訪ねました。(インドではなくネパールだが)仏陀生誕の地「ルンビニ」、成道の地「ブッダ・ガヤー」、初転法輪の地「サールナート」、涅槃の地「クシナガル」、ブッダ教団の地「ラージギル」、仏典結集が行なわれた「ヴァイシャーリー」、仏教大学が栄えた「ナーランダ」などが旅程に入っている。

ワラーナシーからブッダ・ガヤーへ
 最初は、初転法輪の地「サールナート」であるが、前述したように既に前回ワラーナシーを観光した際に訪れ、文章にしている。そこで今回はサールナートは割愛し、ワラーナシーからは成道の地である「ブッダ・ガヤー(Bodh Gaya)」へ移動する。ここで、「成道」とは読んで字のごとく、道すなわち悟りを開いて仏と成ることを意味する。いわゆる「成仏」である。
 Buddha Gayaは現地では「ボード・ガヤBodh Gaya」の発音が通じやすいようであるが、私も含めて多くの日本人は「ブッダ(仏陀)」が身近なせいか、「ブッダ・ガヤー」が多く使われてきたので、以後それに従いたい。
 列車での移動はガヤーGaya経由が便利なはずなのだが、ここで恒例の?“インドの列車の洗礼”を受けてしまった。思い出すのも不愉快なので簡単に書きますが、バナーラスからガヤーへの列車が信じられない遅延ぶりで、予約しておいたホテル1泊分を無駄にしました。しかし、ここでいらいらしてもしようが無いし、皆さんの今後の旅行には何の役にも立たない。ここは堪えて、皆さんに有益な情報を。ガヤーからブッダ・ガヤーに移動する際には列車のチケットの購入が必要ないオートリキシャーの利用をお勧めします。とくに相乗りは気分的にも楽だし、旅の情報を共有できるし、Rs150だと言われても皆でシェァすればRs20になります。但し、夜は一気にRs200に上がるそうです。

駅前通りの風景
ワラーナシー駅。これからガヤー(ガヤー・ジャンクション駅)へ時間通りに向かう(つもりだった)
ガヤー・ジャンクション鉄道駅(GAYA Junction)に、やっと、やっと着いた

気が立っている
 私も含めて乗ってきた乗客は、疲れと空腹と怒りで興奮気味である。しかし、皆で団結! 通りに停まっているオートリキシャーと喧嘩腰で料金交渉をして、ブッダ・ガヤー(Bodh Gaya)まで相乗りで1人Rs20で行かせた。列車が遅れたのは鉄道会社側の責任であって、リキシャーのおじさんの責任ではないのに、大衆心理は恐い。

正覚・成道の地 Buddha Gaya(ブッダ・ガヤー)
 気を新たに”正覚(しょうがく);正しいさとりを意味する仏教用語”の地を歩いて見たい。列車の遅れで丸一日取られたので、「少しペースを上げてブラブラ」と歩き始めると、“Circle wind PAK2005 Junkyu Muto”と刻印されたオブジェが目に入った。思い出すまで時間がかかったが、「武藤順九」が1997年、イタリアピエトラサンタにおいてヴェルシリア賞国際グランプリを受賞したCIRCLE WIND -PAX2000-」のコピーであった。私は震災後、被災地を訪ねていないが、宮城県石巻市に設置された「CIRCLE WIND 2011 -絆-」を覚えていらっしゃる方々も多いことでしょう。東の方向を向いて手を合わせた。

Circle wind PAK2005 Junkyu Muto

 町の中心に向かって歩くと、純白のシュリー・ジャガンナータ寺院(Shree Jagannath temple)が見えてくる。ヒンドゥ寺院である。

シュリー・ジャガンナータ寺院
シュリー・ジャガンナータ寺院

 そして、いよいよ仏陀(ブッダ)ゆかりの地であり、世界中から多くの僧侶が訪れ、観光客が訪れる「ブッダ・ガヤーの大菩提寺」または「マハーボーディー寺院」に向かう。仏教の4大聖地のひとつに数えられ、(他の3つは、既に訪れたインドのサールナート、これから訪れるインドのクシナガルとネパールのルンビニである)。2002年に世界遺産に登録された。
 歴史を簡単にまとめると、今からおよそ2500年前、シャーキャ(釈迦)族の王子として生まれたスイッダールタが解脱への道を求めて世俗を離れ、苦しい苦行を続ける。ウルヴェーラー村(現在のブッダ・ガヤー)の菩提樹の下で深い瞑想に入り、悟りを得てブッダ(サンスクリット語で目覚めた人の意味)となった場所には、高さ約52メートルの大塔(主塔)を有するマハーボーディー寺院が建っている。古いレンガで造られ、「五堂形式」という、塔の頂上の四方に小塔を持つ様式である。
 現在の菩提樹は、イスラム教徒によって弾圧された際に葬られてしまったオリジナルの樹(Ficus religiosa、インドボタイジュ)の挿し木を成長させたもので、4代目に当たるそうだ。菩提樹の伸びた枝の下に金剛宝座があるが、その年代については確定できていないそうだ。
 マハーボーディー寺院の内部には金色に輝く釈迦如来像が「降魔印」を結んだ姿で座していらっしゃる。「降魔印」とは、仏教において、悪魔を降伏(ごうぶく) させるための印で、左手をひざの上に置き、右手を垂らして地を指すものを言う。お釈迦様が瞑想中に指先に地面を触れることで魔を退けたという逸話に由来する。
 なお、黄色い袈裟をまとっているのはチベット仏教の影響を受けたものと、他の訪問者から教えられた。

マハーボーディー寺院(大菩提寺)1番ゲイト
マハーボーディー寺院(大菩提寺)2番ゲイト
マハーボーディー寺院(大菩提寺)
本殿に置かれた黄金の仏像
Cankamana(Cloister Walk)。ブッタが悟りを開くまでの間、歩いていた場所で、瞑想していた菩提樹のそばにある
仏陀はこの木の下で瞑想していた
寺社内における油性ランプや蝋燭の使用禁止(火気厳禁)
ゴータマ・ブッダがその木の根元に座って悟りを得た菩提樹を挿し木することによって作った子孫
Jaya Sri Maha Bodhi Vihara
僧院内部
仏像のアップ
ブッダの誕生から入滅までを絵で示している(ごく一部を以下の絵で示した)

ブッダ・ガヤーにある各国の仏教寺院
 ブッダ・ガヤーの中心にマハーボーディー寺院(大菩薩寺)があり、その周りに各国各宗派の寺院(中国寺、日本寺、タイ寺など)がある。釈迦如来の悟りの地として有名な八大聖地のひとつ、あるいは仏教の4大聖地のひとつに数えられることから仏教では最高の聖地であることは言うまでも無い。同時に、ここはヒンドゥー教における聖地でもある。
 ここでは、ブッダ・ガヤーに建てられている各国の仏教寺院のいくつかをご紹介したい。現役の寺院なので入場料は無料だが、カメラ持込み料がRs100であった。

チベット僧院への入口
チベット僧院
チベット僧院内部
チベット僧院内部
寺院内部に設置されたマニ車。この円筒形の側面には賛歌、祭詞、呪文を象徴的に表現したマントラが刻まれており、内部にはロール状の経文が納められている
中華大覚寺
中華大覚寺
バングラディッシュ仏教修道院
バングラディッシュ仏教修道院
ブッダガヤのメイン通り沿いにあるタイ僧院への入口。内部(奥)に僧院が見える
タイ僧院の外観を撮る。まさにタイの僧院そのもので、本国にいる気分です
僧院内部
ぼだいじゅがくえん
日本寺

北インド・ワラーナシー再び

カジュラーホーからワラーナシーへ
 約10年前、2008年12月にワラーナシーを訪ね、とてつもない感動を覚えたことを記憶している。近郊のサールナートを訪ね、ブッダ(仏陀)の足跡の一部に触れ、“ブッダ”をもっと旅したい衝動にかられたことを思い出す。それがこれから旅をする“ブッダ巡り“のモーチベーションになっているわけである。スケジュールの関係で既に訪問したサールナートについては今回は割愛し、またワラーナシーそれ自体についても前回訪問して本ブログにおいて既に記録した箇所については今回は割愛させていただきたい。
 そうは言っても、ワラーナシーのスタートは、やはりガンガー、ガート、沐浴である。それほど、魅力のある所なのである。

あらためてワラーナシー
 懐かしさもあって、ガートへ向かう。相変わらず、朝早くから沐浴にいそしむ人々がガンガーで身を浄めている。

Sribrihaspati temple
ホテルからガンガーに向かう。大きな通りは相変わらず混雑している
空港や鉄道駅方面への方向を標示している道路標識
朝のガンガーとガートの風景
ガート(ガンガーの川岸にある階段状の足場)
沐浴中の女性達
ガートで行われるバラモン(司祭階級)によるプジャ(礼拝)。プジャとはヒンドゥー教の司祭であるバラモンが、日没時の18時頃、燭台に火を捧げて祈る神像礼拝の儀礼。右側がガンガーである
プジャはダシャーシュワメード・ガート(Dashashwamedh Ghat)付近で毎日行われている。神像に供物を直接供えて礼拝する儀礼や、バラモン教の伝統に則りヤジュニャと呼ばれる祭火に供物を供えて神々に犠牲を贈る儀礼など多様である

このような静かな空間もある
 沿道の人々の出入り、牛、インド人の物売り、サイクルリキシャ、すれ違うオートリキシャーの疾走と耳を裂くようなクラクションの音、ガート近辺の混雑、夜のある意味では宗教行事であると同時に芸術的とも言えるプージャ(礼拝)、…等々、 “混沌”という言葉がよく合うワラーナシーの持つ魅力であり、この神聖な土地が三島由紀夫の「豊饒の海」や遠藤周作の「深い河」の舞台として登場するゆえんでもある。このことは、前回の訪問でたっぷりと味わい、拙著(ブログ)「北インド・ワラーナシーとサールナート」でご紹介した。御面倒をおかけしますが、ご参照ください。

バナーラス・ヒンドゥ大学(BANARAS HINDU UNIVERSITU, BHU)
 今回は、前回のような躍動感はないが、これからの訪問でワラーナシーの持つ違う側面、誤解を恐れずに言うならば、一種の大学を中心とした「文教地区」、大学周辺の「下町的雰囲気」の存在みたいものをご紹介したい。
 「バナーラス(あるいはワラーナシー)・ヒンドゥー大学(BHU)」を訪ねた。公式の訪問ではないので、見学に行ったと言う方が正しいのかもしれない。
 空港や駅から来たオートリキシャーは、市の中心であるダシャーシュワメード・ロート近くにあるゴードウリヤー(Godowlia)交差点手前(チャーチ・クロッシング)までしか入れないので、そこから遠方へは乗り合いリキシャーの乗り場から移動することになる。リキシャーに「ワラーナシー・ヒンドゥ大学」と聞くと、「乗れ」と言われる。よく分からないままに乗り合いリキシャーに乗って約2キロメートルほど南下すると、終点のような所で他の人達が降り、私も降りるように言われる。自分の現在位置が確認できないのでうろうろしていると、若き美女から“Could” を使ったエレガントな英語で「どうしました。私…」と笑顔を向けられる。私の文章に出てくる女性はほとんどの場合に美女、そして優雅な方々であるが、何故かそうなのだからどうしようもない。と言うか、嬉しい限りである。「ワラーナシー・ヒンドゥ大学に行きたい」。「学部はどこですか」。もぞもぞしていると、「観光客ですか?」と畳みかけられる。ちょっと焦って「はい、そうです」。「分かりました、ここは大学の入口です。大学はとても広いので、ここからリキシャーで移動します。一緒に行きましょう」。「もちろん」とは言わなかったが、にこっと「サンキュー」。
 彼女の所属学部は聞き損ねたが、この大学(BHU)は、インド六大国立大学の一つで、パンデッド・マラヴィアがインドの芸術、文化、哲学、音楽、サンスクリット等の研究の中心となる施設として1917年に建設したそうである。大学のことを色々と説明をしていただいたが、彼女も仕事の最中らしいので、「そろそろ、…」と切り出したところ、「大学の中心近くには図書館、寺院があり、北側にはバラット・カーラ・バワンBharat Kala Bhawanインド美術館があるので是非お尋ねください。ここから徒歩で行くことができます」と教えられた。「本当に楽しい、そして貴重な情報をありがとうございました」。

チャーチ・クロッシング付近。ワラーナシーの市街で最も混雑するエリアの一つ
バナーラス・ヒンドゥ大学。女子大学
インターナショナル・センター
大学構内を移動しているリキシャー
バナーラス・ヒンドゥ大学(BHU)
医学研究所
ラクシュマン・ゲストハウス

寺 院
 ルンルン気分でステップを踏んで、美女に教わった構内にある寺院へ向かった。リキシャーのおじさんから声がかかったが、この楽しい気分は譲れない。「ヴィシュワナート寺院」と再度声がかかったが、むきになってステップを踏んでやった。ありました、大学構内にある「ヴィシュワナート寺院」が。ガンガー近くにある同名の「ヴィシュワナート寺院(ゴールデン・テンプル)」はヒンズー教徒以外は入れないが、ここの「ヴィシュワナート寺院」は自由に見学できる。周辺にはお土産屋さんもあり、また、ヒンドゥー教の神様が色々と飾ってある。

ヴィシュワナート寺院
ヴィシュワナート寺院
ヴィシュワナート寺院内部
寺院内部
担当者が来て、供えられた古い花を取り除いてリンガの清掃をする
清掃後、新しく花を供える
寺院から離れ、緑豊かな植物園に近接する中央図書館に向かうが閉館中

 図書館が閉館中なので、ここからリキシャーで北(旧市街)に向かって約2キロメートルの場所にある「ドゥルガー寺院」と「トゥルスィー・マーナス寺院」を訪れる。ドゥルガーとは、シヴァ神の妻である女神で、10 or 18本の手に武器を持つと言う。この戦いの女神を祀っている「ドゥルガー寺院」を最初に訪ねる。寺院の外観はすべて真っ赤に塗られている。猿がいるので「モンキー寺院」とも呼ばれるそうだ。

「ドゥルガー寺院」の赤い壁が見えてくる
ドゥルガー寺院の本堂はヒンドゥー教徒のみが入れる
ドゥルガー寺院

 「ドゥルガー寺院」の南側に近接して「トゥルスィー・マーナス寺院」がある。説明書によると、インド三大叙事詩の一つと言われる「ラームリラ」(サンスクリット語)を庶民にわかりやすいようにヒンディー語に翻訳した人物が、この寺院の名前の「トゥルスィー」だそうだ。「ラーマのお寺」として地元民に人気があり、ラーマの物語が壁一面に彫られ、2階ではラーマの物語をジオラマで再現しているコーナーがある。ジオラマ(仏語;diorama)は博物館の展示方法の一つで、展示物とその背景等を立体的に表現する方法である。ヨーロッパの博物館などでは子供達に人気がある。
 私はジオラマが大好きなので、「ラーマの物語」を3周も見て係員に笑われた。

トゥルスィー・マーナス寺院
「トゥルスィー・マーナス寺院」の壁に「ラーマの物語」が彫られている
寺院内部。2階にジオラマの一部が見えている
ジオラマの一部
ジオラマの終わり

北インド・カジュラーホー

どう説明したらよいのか
 カジュラホーはインド全体のほぼ中央に位置するマディヤ・プラデーシュ州にある村である。その規模は人口が約5,000人で、散歩気分でゆっくり歩いても20分も歩けば郊外に出てしまうほどの広さである。
 カジュラーホーに旅人が旅する目的は何であろう。旅の目的は個人によって異なることは当然として、「カジュラーホーをとらえて旅の目的を問う」のは何故だろう。旅行案内記などに書かれる愛の経典「カーマ・スートラ」を体現したような性愛交合像(ミトゥナと呼ばれる)をあからさまに寺院の壁に表現しているせいであろうか?インド人も「ジキジキ・テンプル(エッチ寺院)」とか言って、笑いながら変なアクセントで「エロイセキ、ドウゾ」と日本人観光客に勧めて、チップを要求している人もいる。もちろん、真面目な顔をして「性愛」という動物の根源的なテーマを論じ合っている(ように見える)方々もいる。本当の所は分からない。終わりのない話になりそうだ。
 カジュラーホーの寺院群は、そのエロス的な彫刻で有名である。それぞれ、西群、東群、南群に分けられているが、その中心は西群の寺院群で、村の中心でもある。これらが建立されたのは、950年頃からおよそ100年間、この一帯を支配したチャンデーラ朝の時代で、その栄華を象徴する寺院群は世界遺産にも登録されている。個人的には、この種のことに特別な嗜好?は無いので、そしてご説明できる知識も無いので、ここでは観光客の流れについて行ってカメラに収めた画像を順に並べてみよう。

西群の寺院
 西群には広々としたエリアに14の寺院遺跡が残っている。村の中心だけあって人の出入りも多いが、圧倒的に観光客が目立つ。最初に目に入る「ラクシュマナ寺院」でも、自分の目で寺院を見るというよりも、後で見るためなのか「壁面の画像をカメラに残す。記録しておく」と言った雰囲気である。
 ラクシュマナ寺院は954年にヤショーバルマン王(ヤソヴァルマン王)によって建てられ、ヴァイクンタに奉げられたものである。ヴァイクンタは、ヴィシュヌ神の化身で、三つの頭と四本の腕を有する。高さは23メートル、本堂と4つの祠堂をもち、ヒンズー教の神ヴィシュヌ神を祀っている。

ガジュラーホー西群遺跡にあるラクシュマナ寺院。とても保存状態が良い
ラクシュマナ寺院はヒンズー教の神ヴィシュヌ神を祀っている。東正面より撮った画像である
ヴィシュヌの化身である猪のヴァラハ(Varaha)があるヴァラハ寺院
中に鎮座するヴァラハの体には繊細なレリーフ(彫刻)が飾られている
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院。この地に残る25ものヒンドゥー教のお堂をもつ壁面はセクシャルな彫刻によって覆われている
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院にある彫刻
11世紀初頭に建立されチトラグプタ寺院。カジュラーホーエリアで太陽神スーリヤを祀るのは珍しいそうである。先に建てられたデヴィ・ジャグダンベ寺院に類似している
チトラグブタ寺院とほぼ同じ時期に造られたとされるジャガダンビー寺院。ヴィシュヌ神に献じられたのだが、本尊はパールヴァティ女神 (シヴァ神の妃)
ジャガダンビー寺院の壁面を埋めるミトゥナ像
マータンゲシュワラ寺院。唯一、現在も礼拝の対象となっている現役の寺院である
マータンゲシュワラ寺院内部。10世紀初頭に建立された。高さ25メートルの巨大リンガ(男根;シヴァ神のシンボル)を本尊として祀る
カジュラーホー考古学博物館。世界遺産の西群寺院群の入場券で入館できる

南群の寺院
 西群は寺院群が近接しているので歩いて廻ることができるが、南群と東群はそれぞれ離れているので全てを徒歩で廻ることは結構骨が折れる。ツァーに参加していない観光客の多くは、カジュラーホー村で自転車を借りてから南群に向かい、その後に東群に向かうようだ。その際、ホテルに出入りしているコミッション・ボーイ(commission boy)に何事も頼まないこと。色々な場所、色々なケースでコミッション・ボーイと名乗る人物に遭遇されると思いますが、彼らは勝手にもっともらしく名乗っているだけでスタッフではなく、紹介料が付加されるのでご用心を。ついでに、日本人旅行者から仕入れた情報ですが、ぼったくり率が高いので客引きには絶対に着いていかないこと、「サドゥ」と呼ばれるインドの修行者を写真に収めると、Rs20を要求されます。お楽しみの所、余計なことですが、後で嫌な思いをしないために。他国でこんなことを書くのは嫌ですが。

カジュラーホー村から南下してコーダル川を渡る手前にあるドゥラーデーオ寺院。彫刻が美しく、内部にはシヴァ神が祀られている。チャトルブジャ寺院の北に位置する
ドゥラーデーオ寺院
ドゥラーデーオ寺院の前室部分は、これでもかと言われるくらい、模様で一杯である
チャトゥルプジャ寺院。聖室とマンダパ(前室)だけの小さな寺院。ドゥラーデーオ寺院の 1キロメートルほど南にある
チャトゥルプジャ寺院内部
チャトゥルプジャ寺院のご本尊のヴィシュヌ神。聖室の繊細さが目立つ

東群の寺院
 西群の寺院はヒンドゥ教の寺院であるが、東群の寺院は、ほとんどがジャイナ教の寺院である。

パールシュヴァナータ寺院とアーディナータ寺院の方向を掲示
東群にあるパールシュヴァナータ寺院。10世紀半ばに建立されたジャイナ教の寺院
正面から見たパールシュヴァナータ寺院
東群のジャイナ教の寺院である
アーディナータ寺院の本尊は、ティーンタンカラ(ジナ)という24人の聖人(勝者)の1人
サフ・シャンティ・プラサド・ジェイン美術館 SAHU SHANTI PRASAD JAIN ART MUSEUM
ヴィシュヌ神の化身ヴァマーナを祀っている、東群の3つのジャイナ教寺院群の中では、比較的大きなアーチ型寺院。10~12世紀のチャンデラ王朝時代に建てられた