「つれづれなるままに」の始まり

今日(2022/01.19)からブログ「つれづれなるままに」の記事が始まります。第1号です。「読書歴」とでも名付けましょう。よろしくお願いします。

 私のかつての職場で、若者達に「これ1冊」を推薦する欄(BOOK REVIEW)がありました。約12年前の2007年冬号に、私の書いた記事が載っていたのを見つけました。その文章と写真をスキャンして掲載したのが以下の記事「人らしく生きたい」です。

人らしく生きたい
 人生で1冊の本を選ぶという行為は私には残酷すぎます。そこで…。
中1でフョードル・ドストエフスキーの作品7編を読みました。人々の織りなす悲喜劇とロシアメシアニズムは13歳の少年の頭を混乱させ、砂利道で自転車を転倒させました。中3でノーマン・メイラー「裸者と死者」、高1でアルベルト・モラヴイア「ローマの女(ひと)」を読み、男の切なさ、女の哀しさを垣間見ました。院1でウラジーミル・ナボコフ「四重奏」から望郷の鼓動、美的至福を感じました。

 私のゼミではゼミ生に輪読の修行を課します。ここ数年は、「蒼穹の昴」、「天切り松闇がたり」、「天国までの百マイル」、「壬生義士伝」、「中原の虹」等々。教養という言葉を飲み込む博識、粋なセリフ廻し、独特の空間設定で言葉を操る“平成の泣かせ屋”浅田次郎。もしもあなたが、登場人物の心根や言葉の一節(ひとふし)に涙を流し、胸の高まりを覚えたなら、あなたは…、あなたは人の優しさ、人の愛を知ったのです。

2007年に撮った写真をスキャンしました。

 それにしても、14歳とか17歳でこのような本を読んでいた少年、青年は、どのような老人になったのでしょうね。お会いしてみたいですね。終戦の年(1945年、昭和20年)に生まれたとして、2022年現在76歳か77歳。この方々は、今どんな本を読んでいるのでしょうか?どんな人生を送っているのでしょうか?

(もう一度)それにしても、ここで掲げた浅田次郎以外の古い時代の本を読まれた方々は、この写真を見て懐かしいでしょうね。私は、今、涙を流さないまでも、ぐっと来ています。深く考えることはありません。単に年を取ったと言うことです。

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