ドイツ人

ドイツ人
 最初に登場する外国人は、特別の理由が無く、何の根拠も無く、ドイツ人にご登場願おう。一般に、ドイツ人は合理的思考をし、真面目でルールに厳しく、計画性があると言われる。私の少ない経験であるが、時間にも厳しい。それ故に慣れていないと相手の国民性によっては難しいことがあるかもしれない。倹約家であるこということ以外は日本人と似ていると言われるが、個人的にはそう思わない私はケチなんだろうか?私のお友達諸君、いかがですか?
 私の最初のヨーロッパ旅行は、イギリスに住み始めてから2カ月くらい経った頃である。海外生活に未だ慣れていなかったことから、家族だけで外国を旅行するのは次の機会にして、みんなでロンドンの旅行会社トーマス・クックのヨーロッパ・バス・ツァーに参加することにした。この会社は幾多の変遷を経て現在も存在しているが、「Thomas Cook Continental Time Table(トーマスクック・ヨーロッパ鉄道時刻表)」で著名な、あのトーマス・クック社である。
 ところが、旅行の出発日近くになって下の娘がマンプス(おたふく風邪mumps)に罹ってしまい、私が一人でツァーに参加することになってしまった。余計なことであるが、英国(イギリス)では住民登録をしていると、医療費は無料であることを初めて経験した。
 さて、ドイツ人の話である。外国人の中にはツァーに一人で参加する方も多く、参加者が、なんとなくグループあるいはペアになって乗物の席に座ったりする。今回の私のヨーロッパ旅行ではカナダのトロントから一人で参加した銀行マンと密着することが多かった。インターナショナルな彼には多くのことを教わった。おやつに買ったお菓子の支払いで、私が「ダッチ・カゥントで」と言ったところ、口に指をあてがって「しーっつ」と言われた。差別語だったんですね。勉強になりました。
 ロンドンを出発して最初に宿泊したベルギーのアントワープから始まって3つ目の都市であるドイツのケント、そして4つ目の都市ドイツのB市を訪ねた時の話である。昼食時にバスを降りてレストランに入ろうとした時のことである。レストランには前室みたいのがあって、気の良いN人がそこにあった自動販売機でジュースを買ってレストラン内に持ち込んだ。少し時間が経って、メニューを持ったお姉さん(おばさん)が客の注文を取りにやってきた。気持ち良くジュースを飲んでいたN人を目ざとく見つけて、「ジュースを袋に入れてください」と注意した。一度の注意で言うことを聞かなかったので怒ってしまい、「That’s rule」と声を荒げた。外野席から、「ユーモア(英: Humor)」のひそひそ声が聞こえてくる。ドイツ語も同じスペルで Humor, フモーア)である。この場合、外野席は「ドイツ人はHumorlessだ」と言いたいのだろうが、悪いのはサービス料を払わずに飲み物を持ち込んだ旅行者なんだがなぁ?
 次の話題である。1979年の夏。家族でヨーロッパ旅行をしていてミュンヘンに寄った。市庁舎を訪ねて分かったのだが、私の住む日本の某市はミュンヘンと姉妹都市であった。わざわざ通訳の女性が出てこられてマリエン広場にあるネオゴシック調の美しい新市庁舎や新市庁舎の塔の仕掛け時計、子供達に人気のある市庁舎などをご案内いただいた。さらに庁舎見学の入場券や3人の子供達にハードカヴァーの立派な絵本をいただいた。この街はドイツの中でも生活水準が高い都市としてトップクラスであるが、感謝感激である。一般に国の南側の人々は、郷土愛が強くおおらかで親切と言われるが、すっかり好きになってしまった。もう一つ。ここのバイエルン国立歌劇場は、超お勧めです。

ミュンヘンのマリエン広場にあるネオゴシック調の美しい新市庁舎、新市庁舎の塔の仕掛け時計
超豪華

 次の次の話題は、19年後に飛んで1998年6月初旬のことである。ドイツ人のことを書いているのだが、場所はイタリアのナポリから始まる。ナポリ港からカプリ島行きの高速船で約45分間。そう言えばもう分かりますね。カプリ島マリーナ・グランデ(Maria Grande)港に到着後にモーターボートに乗り換えて、そう、目的地の世界的観光地「青の洞窟「(Grotta Azzurra)」へと向かう。ここからが今日のテーマである。青の洞窟に入るためにモーターボートから降りて、乗客一人、あるいは二人を乗せる舟に乗り換えるのだが、入り口で船頭に料金を払うシステムであった。突然、私の後ろで何か大きな声がした。かいつまんで話すと、青の洞窟を目前に混雑している中でお客さんが船頭に領収書を要求したのである。イタリア人の船頭と言っても、毎日観光客に接している職業人であり、それなりの言語は理解できるはずである。「??めっ」。そのお客さんがどこの国の人かは定かではないが、多分、その通りなんでしょう。お金のことをきちんとしておきたいのでしょうね?

カプリ島の青の洞窟

 最後に、このような話題はいかがですか?ドイツでは、各商品のグラムあたりの単価が表示されており、地元の人々は勿論のこと、旅行者にとっても値段が分かりやすくなっている。この合理性は人気があり、大賛成です。もう一つ、絶対書かなくては。とにかく、掃除大好き、整理整頓も大好き。学ばなくちゃ。

日本人

日本人
 海外を旅行している時、旅行先の人々のことを国名を前に付けて呼ぶことが多い、というか、一般的である。例えば、「イギリス」+「人」=「イギリス人」、「ドイツ」+「人」=「ドイツ人」、「アメリカ」+「人」=「アメリカ人」という具合である。
 ところで、例えば「イギリス人って?」と自問すると、あるいは質問されると、意外と難しく、答えに詰まることも多い。私は、旅行中であれば用心深くステレオタイプ(Stereotype)な表現をすることにしている。多数の人に行き渡っているレッテル、先入観、思い込みなどの類型化されたあれ(・・)である。上の例で言うと、「イギリス人」とか「英国人」という呼び方である。
 ここ数回のブログは、旅行中に出会ったこの大まかな「…人」について筆を進めたい。知識ではなく、経験したことを書き留めたい。当然のことながら、名前を挙げた国や国民を、ましてやその歴史を揶揄したり、非難したりするものではないことを最初にお断りしておきたい。
 さて、最初に登場する「…人」は、意表をつく様で申し訳ありませんが、「我々日本人」である。「多くの外国の人々は、自分の意見を述べる際に主語として”I(アイ)”を使うことが多いが、それに比較して日本人は「私」と使うことは少ない。「私は、こう思う」と主張するのではなく、「我々日本人(We, Japanese)は、…」と言うのである。これだけでは不十分かもしれない。もっと正確に表現すると、ある年齢層を除いて、「我々日本人は、…」と言うことが多い。何故だろう。「我々日本人は、…」と「私は、…」の違いは、前者に比較して後者がより自己を強調する、あるいはより自己主張をする意味合いを持つと思うが、話している外国語の語学力とか表現力に自信がない場合にそうするのだろうか。一語の名詞で表現しようとする「我々日本人」は、多くの外国人が違う国の外国語を話す時のように、分かりやすい単語を使って言葉を尽くして状況説明をすれば良いと思うのだが…。大丈夫、頑張れ!日本人。日本語と言う特殊な?言語をつれる「我々日本人」は、コツさえ掴めばすぐに身につけられる手法である。それほど日本人は優秀なのである。
 「我々日本人はそれほど優秀なのである」と、気分の良い所で終わりたかったが、文中に、一つ忘れ物をしました。『「ある年齢層を除いて、我々日本人は、…と言うことが多い。」』と書き残しましたね。つまり、「我々日本人は」と表現しない年齢層がいるとの趣旨である。どの年齢層だと思いますか。「昔、漢字は表意文字である」と教わった人達か?言語学を操るには私は浅学すぎます。自己主張をする年齢層とは?私が最も弱い就学前の「らんちゃん」層である。「じじ、らんちゃん、あれほしい」、「らん、ピアノうまくなったよ」、「らん、らん、ラ・ラ・ラ、らんらん…」。でしょう、少ない単語で自己主張をしてしまう。

「つれづれなるままに」の始まり

今日(2022/01.19)からブログ「つれづれなるままに」の記事が始まります。第1号です。「読書歴」とでも名付けましょう。よろしくお願いします。

 私のかつての職場で、若者達に「これ1冊」を推薦する欄(BOOK REVIEW)がありました。約12年前の2007年冬号に、私の書いた記事が載っていたのを見つけました。その文章と写真をスキャンして掲載したのが以下の記事「人らしく生きたい」です。

人らしく生きたい
 人生で1冊の本を選ぶという行為は私には残酷すぎます。そこで…。
中1でフョードル・ドストエフスキーの作品7編を読みました。人々の織りなす悲喜劇とロシアメシアニズムは13歳の少年の頭を混乱させ、砂利道で自転車を転倒させました。中3でノーマン・メイラー「裸者と死者」、高1でアルベルト・モラヴイア「ローマの女(ひと)」を読み、男の切なさ、女の哀しさを垣間見ました。院1でウラジーミル・ナボコフ「四重奏」から望郷の鼓動、美的至福を感じました。

 私のゼミではゼミ生に輪読の修行を課します。ここ数年は、「蒼穹の昴」、「天切り松闇がたり」、「天国までの百マイル」、「壬生義士伝」、「中原の虹」等々。教養という言葉を飲み込む博識、粋なセリフ廻し、独特の空間設定で言葉を操る“平成の泣かせ屋”浅田次郎。もしもあなたが、登場人物の心根や言葉の一節(ひとふし)に涙を流し、胸の高まりを覚えたなら、あなたは…、あなたは人の優しさ、人の愛を知ったのです。

2007年に撮った写真をスキャンしました。

 それにしても、14歳とか17歳でこのような本を読んでいた少年、青年は、どのような老人になったのでしょうね。お会いしてみたいですね。終戦の年(1945年、昭和20年)に生まれたとして、2022年現在76歳か77歳。この方々は、今どんな本を読んでいるのでしょうか?どんな人生を送っているのでしょうか?

(もう一度)それにしても、ここで掲げた浅田次郎以外の古い時代の本を読まれた方々は、この写真を見て懐かしいでしょうね。私は、今、涙を流さないまでも、ぐっと来ています。深く考えることはありません。単に年を取ったと言うことです。