中国・マカオ特別行政区

マカオ
 マカオは、マカオ半島、タイパ島、コロアン島からなり、3本の橋でつながれている特別行政区である。1999年12月20日に120余年のポルトガルの統治から中国への主権返還がなされた。広州からバスで行くことも出来るので、身近な旅行先として人気が高い。

広州からマカオに向かうバスの乗車券
香港へ向かう途中の給油ステーションのガソリンの価格(2017.4.28現在)。日本のガソリン価格と比べて安いですか、高いですか?

マカオの食事
 日本人にとっては、マカオと言えば、「中国政府によるカジノが唯一認可されている行政区」であろうか?私が宿泊したホテル、珍しく立派なホテルだったのだが、カジノがあったが、宿泊のみの客と動線が厳然と分けられていたので、カジノの様子は分からない。
 カジノに興味が無くても、地元の料理も楽しめるせいか、レストランや居酒屋風の食堂に日本人が屯している。そしてポルトガルは、かつては日本に大きな影響を与えたこともあってか、ポルトガルの統治下であったマカオは日本人に人気が高い。
 私は、これまでにポルトガルに何度か足を運んだが、親日的な人々に惹かれ、また、食の嗜好が口にあって、特に塩味を中心とした魚介類が大好きである。勝手に“漁師味”と名付けて、日本から出かける方々に推薦している。ラッキーなことに、マカオの味付けがポルトガルのそれに似ているのである。そもそもよく考えてみると、中国の広東地方の一漁村であるマカオが“漁師味”を残していることは、当然と言えば当然であると言えよう。

三平汁
 私は、日本国の北に棲む人間であるが、最近では昔ほど見られないが、「三平汁」と言う郷土料理がある。塩で寝かした(塩漬けにした)サケやニシンなどの魚と野菜を一緒に煮込んだ料理であるが、底の浅い大き目の皿、「三平皿」で食べるのが一般的である。松前藩の藩主が狩りに出た際に、斉藤三平という漁師の家であり合わせのものを煮こんだ食事を供されたのが、その起源であると言われている。
 勝手な理屈になってしまいそうだが、皆さん、マカオにお出かけになった際には「三平汁」をお試し下さい。うんちくを傾ければ、地元民に受けること間違いありません。本当においしいのですから。
 海が出てきたので最初の写真は、海の女神、媽祖を掲げたい。

台湾や中国南方で信仰されている海の女神、媽祖を祀っている媽祖閣(まそかく)の山門。阿媽とも呼ばれる
西湾湖(せいわんこ)の埋め立て地にある高さ338メートルのマカオタワー。橋の向こうの遠景は中国である。若い人が多い理由が分かった。ギネス世界記録に認定されたバンジージャンプ、減速降下するスカイジャンプ、スカイウォーク等があるのだ。私は、この種のものは、勘弁してもらっている
西望洋山の高台に建つペンニャ教会。オランダ艦隊の攻撃から逃げ延びた船員と乗客によって1622年に創建された
ペンニャ教会前に建つ聖母子像。聖母子はここからの素晴らしい眺めを楽しんでいるのだろうなぁ
ペンニャ教会の内部は明るくシンプル
16世紀中頃にイエズス会によって建てられた聖ロ-レンス教会。現在の外観と規模は1846年に再建されたものである。ポルトガル人船乗りの家族は、教会の階段に集まって彼らの帰還を祈ったことから、「風順堂」と名づけられたそうである
教会のミントグリーンの天井から下げられたシャンデリアやステンドグラスが美しい
1860年ポルトガル国王ドン・ペドロ5世を記念し、マカオ在住ポルトガル人の共同出資で建てられたドン・ペドロ5世劇場

1728年に聖ポール大学とともに創設された聖ヨセフ修道院

セナド広場
 ツアーなどによるマカオ観光の出発点となっているセナド広場Largo do Senadoは人気の広場である。実は、道路を学ぶ者にとって、ポルトガルは石畳やモザイクタイルで著名な国であって、そのせいもあって、ここマカオの石畳は職人が勉強をする場でもあるのだ。別の道路関連の協会誌に頼まれて上梓したフォト・エッセイ(本ブログの『旧写真旅行記No.14 世界の道-ポルトガル中部から北部へ~ポルト・アヴェイロ・コインブラ・バルセロスそしてブラガ~、2003年04月』)に御紹介したように、繰り返しになるが、ポルトガルのタイル装飾アズレージョが施された壁は世界的に著名なのである。
 話をマカオに戻して、ポルトガル風の石畳とパステルカラーの建築物が映える小さな広場、セナド広場を是非訪ねて欲しい。仁慈堂大楼が建つ腕っききの職人達により作られた波状の地面の鮮やかさは、見逃せない。

セナド広場の一角に建つ、白が美しい新古典主義様式の建物、仁慈堂大楼。現在は公証役場として使われているが、コロニアル様式の仁慈堂博物館の展示室にはイエズス会の紋章が描かれた陶器の壺、宗教関係の祭具、美術品が展示されている。広場には噴水があるので「噴水池」とも呼ばれている
聖ドミニコ教会。バロック様式が美しい。メキシコのアカプルコからやってきたドミニコ修道会のスペイン人修道士3人によって1587年に創建された。かつて鐘楼だった建物は博物館として約300点に上る宗教的な装飾品を展示している。教会の中は観光客でにぎわう広場の喧噪とは異なり、別世界のような静かな空間を保っている

聖ポール天主堂跡
 1582年に聖アントニオ教会付属の礼拝堂として建てられたが、1601年の火災で焼失。翌1602年から30数年をかけて再建するも1835年に焼失。現在はファサードと階段壁の一部のみが残っている。下の写真のアップ画像に見られるように、壁面の真ん中に配置された聖母マリア像、マリアを囲む天使、悪魔、竜、花々などの像から、これまた目が離されない。

聖アントニオ教会付属の礼拝堂として建てられ、後に大部分が焼失した際に残ったファサード部分
壁面中央の聖母マリア像、天使、悪魔、…等
モンテの砦の大砲台
カジノホテルのグランド・リスボアとリスボア。香港からのマカオ日帰り旅行を考えている若者達は、香港→マカオのフェリーターミナル→リスボアの無料バスでマカオ市内→市内観光後→リスボアの無料バスでマカオのフェリーターミナル→香港、と移動して交通費を節約していました。思いがけない出会いがあるかもしれない、頑張れ!若者
ギアの聖母礼拝堂(左)と灯台(右)。聖クレア修道院を建設する前にギアの丘に居住していたクラリスト修道女によって建立された
聖ラザロ教会。ハンセン廟の病院付属の礼拝堂としてここに聖マリアを祀った。この病院の守護聖人が聖ラザロだったため、教会は通称、ラザロ堂と呼ばれる
マカオを楽しんで、これから香港に向かう。香港行きフェリーのチケットも万全だ

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