イタリア人

イタリアの国民性を語るのは易しい or 難しい
 「国民性を語るのに易しい国の一つはイタリアである」。「国民性を語るのに難しい国の一つはイタリアである」。??この種の問題、「こっちが正しい」とか「あっちが正しい」と決めつける性質のものではない。「どちらももっともだ」なのである。これほど個性的な人々はいまい。そして、よく南と北では人々の性格に違いがあると言われるが、この国の人々ほどその顕著な例はあるまい。南は一般的なイタリア人のイメージに近い陽気なイメージで享楽的な人が多く、北は質実剛健なドイツ人のイメージに近いと言われる。そうは言ってもイタリア人である。前回、ご紹介したドイツ人と比較すると、よく食べよくしゃべる人々である。
 ローマの玄関口である中央駅(ローマ・テルミニ駅)近辺には、当然のことながら旅行者向けのレストランが多い。私もローマに出かけた時には、家族と相当回数通った。そしていつも同じことを聞かれる。イタリア語で「ジャッポネーゼgiapponese?(日本人か)」と聞かれるのである。私は「Si(シー)」と答えるわけだが、ぼうっとしていて日本語で「そー」と言ってしまうことがあるが、「日本語のそー(そうです)」が通じることも多い。ここで、問題である。レストランのスタッフは、なぜ「ジャッポネーゼ」と聞くのか?日本人は100%スパゲッティを頼むのでその確認?「それは正しい」。そこで、一度親しくなったレストランのオーナーに、「なぜ、日本人にジャッポネーゼと聞くのか」と質問したところ、詳しくその理由を教えてもらった。「日本人は小食なので、品数を減らすか、量を減らすことを勧めるためだ」そうだ。合理的であり、食を大切にするイタリア人に感謝し、もっと色々な料理を食せることにも大感謝である。なお、パルメザンチーズのなどの特産物は、「食べ残しをするとお持ち帰りをしてくれる」とある本で読んだことがあるが、私には経験が無い。
 先に、「ドイツ人と比較すると、よく食べよくしゃべる人々である」と書いた。今度は、よくしゃべるイタリア人を御紹介しよう。とにかくしゃべる。英語で話す時でも、イタリア語を混ぜたり、それにイタリア語自体が歌のように聞こえるので、こちらは相手の言葉(メロディ&リズム)に合せて首を縦横に振ってしまう。ここで圧倒されたら負けである。日本人のように、言わなくても相手に伝わるだろうと思い込んでいては、通用しないことが多いのである。
 私は南北を問わずにイタリアが大好きだが、ここでは先ず南側のナポリでの経験を御紹介したい。ナポリには特徴あるメルカート(市場)が色々とあるが、活気があることで有名なピーニャセッカ市場(Mercato della Pignasecca)に出かけた。目指すは魚屋さん(Pescheria)である。魚屋さんのお兄さんは、日本人に劣らない?見事な手さばき(包丁使い)で、海辺ならではの魚介類をこなしている。あまりにも真剣に見とれていたせいか、このお兄さん、(名前は分からなかった)魚の一切れを私にくれて、「食え」と合図する。旨いのなんのって、旨い。日本を出てからあきらめていた刺身を国外で食べられるとは「幸せ、そのもの」。「旨い、美味い」と日本語で言ったところ、もう一切れくれた。あまりにも気分が良いので、「気持ちだ!」とお札を渡そうとしたところ「何をするんだ」といった表情で怒ってしまった。そう、ナポリっ子は、かくも、粋で、気前が良く、…、まだまだ、褒めたりない。そして、数々のイタリアンハーブ、パスタ、新鮮な野菜、ワィン、…、これじゃ、彼等・彼女等に「痩せろ」と言う方が無理だ。

夜はいつも忙しい
 この美しい港(ナポリ湾)と東側にそびえるヴェスビオ火山の組み合わせは、まさに“ナポリ”である。もう4度ほど訪ねたので、「ナポリを見たから死んでも良いか」。でも、これだけの街、やはり、稿を改めてナポリについて再度ご紹介させていただくことにして、今日は「ナポリの夜~食事とオペラ~」について学問をしたいと思います。

卵城から写したヴェスビオ火山とサンタ・ルーチア

 1998年6月にナポリの王宮(Royal Palace)で5日間にわたって行われたある学術会議に参加した。最新の研究課題に関する情報交換や技術的討論会もさることながら、1日だけ行われるカンファレンス・ディナー(Conference Dinner)も楽しみの一つである。今回は、民謡「サンタルチア(Santa Lucia)」で知られるサンタルチア地区の海に浮かぶ要塞「卵城(Castel dell’Ovo)」で行われた。参加者は、世界各国から集まっているので色々な言語が飛び交っているが、強気のフランス語も次第に多勢の英語に負けてしまう。

王 宮
卵城(12世紀の古城)

 さて、先に「ナポリの夜~食事とオペラ~」について学問したいと書いた。まず、食事である。私の悩みを聞いてください。「食事中は日本語で話したい」。「英語で考え、英語で話せ」と言われても、「食べる」という行為(楽しみ)は原始的行為であるし、翻訳しながらでは「食べた気がしない」のである。「中国料理を食べる時は中国語で話しながら」、「ロシア料理を食べる時はロシア語で話しながら」なんて言う奴もいるが、詭弁だ。
 そうは言っても、ここの料理は美味かった(日本語)。お一人でも楽しむことができます。卵城の横にある魚介レストラン街・漁師村「ボルゴ・マリナーリ(Borgo Marinari)」は是非、お訪ね下さい。
 私の夜の楽しみのもう一つです。オペラです。南米は訪れたことはありませんが、他は多くの著名なオペラハウスは観て聴いています。「観て聴いて」という意味の中には、「建物の外観を見る」は入っていません。文字通り「観て聴いて」います。好きなオペラハウスは、出し物、出演者、指揮者、建物、…等の要素が入ってきますが、実はイタリアの「スカラ座」、…、も大好きですが、実は、実は…、ナポリの「サン・カルロ劇場」です。
 2002年5月だったと思いますが、舞台に向かって右側の3階のボックス席でした。椅子が3つ並んでいて、開演近くなってからイタリア美男子、少し遅れてイタリア美女が私の両脇に座りました。私を挟んで右に可愛い美女、左にさっそうとした美青年。出し物は?忘れてしまいました。「席を譲ってくれませんか?」が圧倒的に多い中、この(多分)アヴェック、きれいな瞳で舞台をじっと眺めていました。待ちに待った幕間が来ました。中肉中背のご老人、すくっと立ち上がって、手招きをして、若者達が隣同士になるように席を譲りました。ここで終わると文章としては格好が良いのですが、少し時間がかかりました。若者達は老人が舞台に近い方に座るように手招きして、「ティ リングラツィオ(Ti ringrazioどうもありがとうございます)」。老人は舞台から遠い方に座って「ありがとう(Grazie!)」。よく言われるように、不正確でルーズな面を持つイタリア人ですが、困った時にはお互いに助け合う精神はなかなかのもの。それにやることが洗練されている。さすが、一流ブランド発祥の地である。
 ところで、ここまでどちらかと言うと、南のナポリが話題になっているが、オペラに詳しい方はご存知かと思いますが、実は、オペラはヴェネツィアで栄えていたのですよ。17世紀後半から18世紀初めにかけて、オペラの活動の中心はヴェネツィアからナポリへ移ったと言うわけです。このあたり、しゃべる始めると、「プロヴェンツァーレ」だ、「スカルラッティだ」、「…」と止まらなくなるので、次の機会に譲りたい。