マレーシア・イポー&ジョージタウン

イポー
 今日はクアラルンプールからイポー(IPO)への移動日である。イポーはマレーシア北西部にあるマレーシア第三の都市で、この国を代表する地下資源である錫の採掘で栄えた街だ。華人が多く住む東南アジアのチャイナタウンといった雰囲気の町である。
 目的地のイポーの観光と同時に、イポー~クアラルンプールを結ぶETS(高速電車)、KTMインターシティの列車の旅を楽しむことが目的でもある。私の求めた列車のチケットは、マレー鉄道(www.ktmb.com.my)のKL Sentral 発09 :00(EG04)→IPO 11 :20 着の2時間20分の行程である。
 いつもの癖であるが、車窓の景色に飽きると列車の中で文庫本を読む。もう数ページで終わりそうだ。乗った時から気になっていたのだが、40代のきりっとした日本人がなんとなく、…、彼もイポーで降りるようだ。これもいつもの癖だが、「終わりましたので、よければ、…」と、本を差し上げた。当然のことだが、びっくりなさって、「現地生活が長いので」と気持ちよく受け取ってもらった。「ここで、蝶や他の虫などを日本に送っています。ヘビ園も有名ですが、是非、蝶園にお出かけください。」「ホテルが決まってなければ、…」。そこは大人の別れ方で、気持ちよく、「さようなら」。良い旅になりそうだ」

コロニアル風の建築様式を巧みに取り入れたイポー鉄道駅
イポー鉄道駅

ペラ・トン/サン・ポ・トン
 イポー観光の目玉の一つは、洞窟寺院(中国寺院)の見学である。豊富な石灰岩の素材と生産量を生かして多くの洞窟寺院が建てられている。ペラトン(霹靂洞)は、12.8メートルもある金色の仏陀の座象や40体を超える座像が人気の的で、多くの観光客が訪れている。
 近郊バスステーションからNo.35のバスで約15分、RM1.50で行くことができ、嬉しいことに、寺院の入場料は無料である。

ペラ・トン(霹靂洞)
ペラ・トン(霹靂洞)
ペラ・トン(霹靂洞)
ペラ・トン内部にある黄金の仏像
リン・セン・トン(霊仙洞)。トコン・ナム・トン(南天洞)の隣にある
佛 縁
三蔵法師とお馴染みの一行である
トコン・ナム・トン(南天洞)。三寶洞の隣にある
サン・ポ・トン(三寶洞)。イポーで最も古い19世紀後半に造られ、1912年に発見された中国の仏教寺院(洞窟寺院)である。地元ではパワースポットとして知られる
イポー駅から徒歩5分程の場所にあるバーチ・メモリアル・タワー。英国初代駐在官 J.W.W.バーチの追悼碑である
メモリアル・タワーの拡大写真

イポーからジョージタウン
 イポー・バスターミナルから約3時間でバタワース(Butterworth)へ行き、ここから20~30分間隔で運行しているフェリーに乗船、約25分でペナン(Penang)島のフェリーターミナルに着く。ここから市内のバスターミナルまでは徒歩圏内である。
 ペナン島の中心は、英国の統治時代の面影を残す、いかにも英国っぽい名前を付けられたジョージタウンである。大まかに言うと、フェリー乗り場からジョージタウンの中心街まで1~2キロメートルと近い。したがって島内の観光の脚はバスの利用で十分である。人気のバス会社であるラビッド・ペナン(Rapid Penang)は、ジョージタウン内にCAT(Central Area Transit)と呼ばれる無料バスを走らせている。車体に“Hop On Free(乗車無料)”と表示されたバスで、ガイドブックに観光場所を網羅したルートマップを載せている。私はあらかじめ予約しておいたホテルでこのルートマップを入手し、方向音痴故に何度も同じルートを行き来した。

イポーからバタワースへバスで移動中
時計塔 Victoria Memorial Clock Tower
コーンウォリス要塞。1786年、キャプテン・フランシス・ライトが最初に上陸した場所に建造された要塞。「コーンウォリス」は、当時の東インド会社提督の名前に由来する
コーンウォリス要塞の入口
ペナン島に入植した広東人と福建人によって1800年代に建てられた観音寺。ペナン島最古の中国寺院
観音寺の屋根や柱には美しい彫刻が施されている
1801年インド人のイスラム教徒カウダー・モフィディーンによって建てられたカピタン・クリン回教寺院。インドの伝統的なムガール様式。カピタンはキャプテン、クリンはマレー語でインド出身者をそれぞれ意味する
カピタン・クリン・モスク。“礼拝中”は訪問お断り
カピタン・クリン回教寺院の内部
ドームにミナレットが付いている
極楽寺院 Kek Lok Si Temple
極楽寺院。1890年から約40年をかけて建てられたマレーシア最大の仏教寺院
中国、タイ、ビルマの3つの様式が混在する高さ30メートルのパゴダが美しい。この八角形の塔で7層のパゴダには1万体の仏像がはめ込まれていると教えられた。このことは、まさに異文化が共存するペナンの多様性を意味している
鶴山極楽禅寺
鶴山観音聖像
寝釈迦仏寺院(ワット・チャヤマンカララーム)の五重のパゴダ(仏塔)。1900年に建てられたタイ式と中国式のミックスした造りになっている
本堂には、1958年に造られた金箔をまとった全長33メートルの巨大な寝釈迦仏。裏側に信者の骨壺。コムタのバスターミナルから103番のバスで行くことができる
寝釈迦仏寺院の五重の仏塔

ヘビ寺
 今日は、気味が悪い方もいらっしゃるかもしれませんが、生きた蛇がうじゃうじゃいるペナンで人気のヘビ寺へご案内します。
 イポーからジョージタウンに移動した時に、ペナン島の島内移動にはバスの利用が便利で、とくにラビッド・ペナン社が運行するCATと呼ばれる無料バスや他に運行するルートが便利であることを御紹介した。今日はそれを利用する日である。ジョージタウンから102とか401のラビッド・ペナンで40分前後でヘビ寺に行くことができます。ただし、車内では停留所のアナウンスがないので、乗車の際にドライバーに「スネィク」と告げておくのが良いかと思います。私の場合は運転手に「ヘビね」と返されました。
 1850年、病気や傷を治す不思議な力を持つチョー・スー・コンという僧を祀って建てられた中国儒教寺院である。旅行記には、1986年に秋篠宮殿下(当時)もご訪問されていることから、日本人観光客に人気の高いお寺であるそうだ。蛇たちは寺の守護神として拝められており、毒牙も抜いてあるので「安心だ」と言われているそうだ。私は恐がりで、「安全」ではなく、「安心」だけでは信用しない。料金を払ってヘビと記念写真を撮る勇気?は無い。

中国儒教寺院のヘビ寺
生きているヘビ。どなたかに言われるまで分からなかった
えっ、生きている?怖いっ

 クアラルンプールからここイポーに向かった時に列車の中でお話をお聞きした「蝶園」が近くにあったので訪ねてみた。田舎で育ったので、珍しい風景ではなかったが、さすがにこれだけ大きな施設になると、皆さんにもお勧めしたい。是非、お出かけ下さい。そして近くにある私の大好きな”漁師町”、”テロッ・バハン”もお勧めである。是非、お出かけ下さい。

ヘビ寺近くにあったバタフライ・ファーム(蝶園)
蝶園で見た蝶の舞
蝶園で見た黒蝶
蝶園で見た蝶の舞
ヘビ寺近くにあるテロッ・バハンの海岸をブラブラしていて、網の修理をする漁師さんの技術に見入った。この網の目を見ると、大き目の魚がいるようだ
テロッ・バハンの海岸。レストランではマレー風寄せ鍋 ”スチームボート”がお勧めです
アチェ・モスクのエジプト風ミナレット。インド人囚人の手によって1808年に建てられた。アルメニアストリート近くにある
サイド・フサイン・アイディドによって建てられた
クー・コンシー(邸公司)。福建省から来た邸氏一族が設立した中国寺院。コンシー(公司)とは祖先を祀る廟のことで、敷地内は寺院と集会場から構成されている。焼失後、1960年代に改修された
ジョージタウンの時計塔
ペナン島のジョージタウンから対岸のバタワースを望む
フェリー船内
バタワース駅にある蒸気機関車 

マレーシア・クアラルンプール

マラッカからクアラルンプールへ
 マラッカ(Melaka)の長距離バスターミナル(Melaka Sentral BT)からクアラルンプール(Kuala Lumpur, KL)のプドゥラヤ・バスステーション(Hentian Puduraya BS)へ約2時間。主要都市を繋ぐだけあって豪華なバスが頻繁に行き来している。

マラッカからクアラルンプールへ向かう豪華バス

 クアラルンプール市内の交通手段は、他の大きな都市と同じように、電車、市内バス、タクシーが中心である。方向音痴の私にはバスの細かい乗り回しは難しく、ホテルのスタッフから助言されたように、遠距離は電車やバスを使い、込み入った場所や短い距離ではタクシーを使うのが合理的なようだ。その電車であるが、LRT(Light Rail Transit System)、KLモノレール(KL Monorail)、KTMコミューター(KTM Comuter)、MRT(Mass Rapid Transit)と至れり尽くせりである。今日はゆっくりと休んで、明日からこの交通システムを駆使して、「KLをブラブラしようっと。」

バトゥ洞窟
 いつもの私流(わたくしりゅう)の「旅は町の中心からではなく、遠くから始める」は今回も同じ。クアラルンプールの町の中心からではなく、北郊外約10キロメートルに位置するヒンズー教の聖地バトゥ洞窟Batu caveから始めたい。同じホテルに泊まった韓国の青年もバトゥ洞窟に向かうと言うことで、彼が調べてくれたルートで一緒に出掛けた。KL Sentral駅よりKTMコミューター(Plathome3 Sentul方面)に乗って約30分→『Batu Cave駅』下車→出口を出てすぐ、である。
 鍾乳洞バトゥ洞窟の入口に立つ「ムルガン(Murugan)神像」は、高さ42.7メートルと世界で最も高い神像である。韓国青年の話だと、神像には300リットル以上の金が使用されていると言うことであるが、純金ではなく合金だとしたら重量ではなく体積で表現されても合理的ではないので、金の重さの実感が湧いてこない。とは言っても、黄金に輝く神像は迫力があるし、ましてや、最高神シヴァの次男でヒンドゥー教の軍神だと聞くと、緊張感がある。
 傾斜のきつい272段の階段を上がると大鍾乳洞のいたる所にヒンドゥーの神々が祀られている。

ヒンドゥ教の聖地・バトゥ洞窟
仏像の左側に見える階段は急勾配で足腰にきつい
上から階段を写す
上に上がって仏像を背後から写す
272段の階段と眼下の街を引き寄せて写す

ピンクとブルー
 ピンクとブルー、例えばカジュアルなズボン(パンツ)をはいて、上にスゥエーターを着る場合は、あなたはどちらの色を選びますか?季節、着るものの素材、中に着るシャツなど、ややこしい条件は横に置いといて、あなたは…。私は黒いズボンが圧倒的に好きなのですが、上の条件であるならば、ピンクとブルーのスゥエーターを選ぶことが多い。黒あるいは濃紺のズボンにピンクのスゥエーターが定番のせいか、ゴルフ場のキャディ達にはすぐに見つかってしまう。「??さん、また池ポチャやったでしょう」。
 無駄口が多すぎました。今日は色の名前が付いたモスクの話である。クアラルンプール郊外にあるプトラ・モスク(Masjid Putra)とスルタン・サラディン・アブドゥル・アジズ・モスク (マレー語:Masjid Sultan Salahuddin Abdul Aziz)のことである。それぞれのモスクの色の特徴から、前者は「ピンク・モスク」、後者は「ブルー・モスク」と呼ばれているが、方向が違うので、二つのモスクを午前と午後に分けて訪ねることにした。

プトラ・モスク(ピンク・モスク)
 プトラ・モスク(Masjid Putra)のあるプトラジャヤ(Putrajaya)駅までは、K Lセントラル駅から電車(KLIAトランジット)に乗って行くことができる。ピンク系の花崗岩を使用していることから、「ピンク・モスク」と呼ばれている。女性は必ずローブ(着衣)を着なければならなく、男性も短パンの場合はローブを借りることが求められる。貸し出しは門を入って右手にあり、無料である。

プトラ・モスク(ピンク・モスク)の敷地内部から撮影した連邦政府庁舎 
プトラ・モスク内における禁止事項が表示してある
プトラ・モスク(ピンク・モスク)
モスクの内部
プトラ・モスク(ピンク・モスク)の敷地内部から撮影した連邦政府庁舎
ここまでプトラ・モスク

スルタン・サラディン・アブドゥル・アジズ・モスク(ブルー・モスク)
 スルタン・サラディン・アブドゥル・アジズ・モスク (マレー語:Masjid Sultan Salahuddin Abdul Aziz)は、マレーシア・スランゴール州の州都シャーアラムにある。青色をしていることから、通称、ブルー・モスクと呼ばれている。1988年3月に完成、最大収容人数24,000人のモスクは世界第4位の大きさと言われる。一見して分かる青い屋根が特徴で、高さ142.3メートルの4本のミナレット(尖塔)は特に目立つ。
 行き方は、急ぎたい方はKTM「Shah Alam」駅からタクシー(電車+タクシー)、KTM「Shah Alam」駅からバス(電車+バス)の利用、のんびり安いのがお好きな方はLRT「Pasar Seni」駅からバスでブルー・モスク近くのバス停まで所要時間約1時間、と選択肢がある。

ブルー・モスク
ブルー・モスク
ブルー・モスクと庭園

マスジット・ヌガラ(国立モスク)
 高さ73メートルのミナレットがそびえるマスジット・ヌガラは1963年に建てられた国立モスク。女性には入口でローブとスカーフを貸してくれる。

マスジット・ヌガラ(国立モスク)について説明したプレート


注記)以上のクアラルンプールに関する旅日記は、マレーシアの他の都市における旅日記と同様に2014年3月~4月に訪ねた際の記事であり、以下のクアラルンプールの旅日記は、2012年2月に訪ねた際の記事である。

ペトロナス・ツィンタワー
 1998年にクアラルンプールに完成した高さ452メートルの超高層ビル(ツインタワー)である。ペトロナスタワー(Petronas Twin tower)あるいはペトロナスタワーズとも呼ばれている。日本と韓国の合作で、タワー1(KLCC公園から見て左側)は日本のハザマ、タワー2(KLCC公園から見て右側)は韓国のサムスン物産の建設である。ご想像の通り、お互いの会社(国?)の威信をかけて、…、…、急ピッチで建設が続いた結果、41階を建設した段階で、…、。もちろん、この傾きは修正され、ビルは完成して、現在供用されていることはご存知の通りです。

空港から市内へ向かう時に最初に見えるペトロナス・ツィンタワー。タワーが傾いて見えるとしたら、写真の撮影技術のせいで、タワーの建設技術の結果ではありません
夜のペトロナス・ツィンタワー(加工済)
夜のペトロナス・ツィンタワー。高さ452メートル、88階。アメリカ人建築家シーザー・ペリー氏がイスラムの教えからイメージして設計した

ドレス・コード
 高さ452メートルのペトロナス・ツィンタワーの中にあるマレーシア交響楽団ホール(Petranas Philharmonic Orchestra Hall in Twin tower)で行われたマレーシア交響楽団(Malasia Philharmonic Orchestra)の演奏会に行ってきました。イスラムの国で、イスラムの交響楽団で初めて西洋のクラシック音楽を聴きました。日本から直接、支配人にメールをお出ししたところ、ご丁寧な返事と同時にチケットを当日ボックス・オフィスで受理できるなどの手配をしていただきました。ありがとうございました。
 近年の世界の傾向で、カジュアルな格好で演奏会場に出かけたのですが、入り口で足止めをされ、「スニーカーをホテルまで行って替えて来い。ドレスコードを読んでないのか」と強い口調で言われた。経過はともかくも、青い目をした上品なご婦人が「後ろの席にお座りになったら」と、とりなして事なきを得たが、…。という経緯から、演奏に関するコメントは無し。
 外国で出会うこの国の方々や大学生と話をしたイメージとは違う「原則絶対重視」の姿勢を旅のあちこちで感じます。大事なことなので、しっかり守って楽しく過ごしましょう。

参考までに原則重視の例
 郵便局から日本向け船便小包を出す時の注意事項。 ①送る中身を局員に見せる②日本で言う油紙のような紙を買って中身を包む③それを持って行った紐で包む④箱に入れて書いた書類と一緒に局員に出す。ここで、要注意。②の油紙は文房具屋で売っている所定のものを使う→荷物(中身)を最後に入れる箱も文房具屋で売っている所定のものを買って使う→…→。これらの作業(文房具屋へ行って買うことも含めて)、一度に言えっていうんだ。油紙を買うために、箱を買うために、…→私目は100メートル離れた文房具屋へ何度も雨の中を歩くのである。日本で育った私目は何と甘やかされているんでしょう?

雨の話が出たついでに
 雨の話が出たついでに、雷の音も徹底している話である。場所は依然クアラルンプールの市街地、季節は2月の夕刻、スコールと言うんだろうか、いきなり雨が降り出した。小さな子供では傘をさしていられないほどの強さである。道路排水もしっかりした場所であったが、排水が追い付かず、15分ほどでスニーカーはおろか、さらに10センチメートルほど水につかり、前が見えないほど雨が叩きつけてくる。そして、どぉ~んと強烈な雷がして、皆さんが悲鳴をあげる。本当に生きた心地がしない、…、ビルに逃げ込むとエレベーターが止まっていた。雷が落ちた場合への対処なのであろうか。雷までというか雷も徹底しているのである。

ツィンタワーのコンサート・ホールのロビー 
コンサートホールのボックスオフィス
スリ・マハ・マリアマン寺院。マレーシア最大のヒンズー寺院。1873年建立
スリ・マハ・マリアマン寺院
寺院上部のアップ画像
寺院の内部
マスジット・ジャメ・クアラルンプール。クアラ・ルンプールとはマレー語で「泥の川の合流地」という意味。クアラ・ルンプールにはゴンバック川とクラン川の2つの川があり、その川の合流地点に建っているモスクがマスジッド・ジャメ・クアラルンプール
連邦事務局ビル。現在は、最高裁判所、高等裁判所。ムーア様式のレンガ造りで、クアラルンプールのシンボルともなっている高さ40メートルの時計塔が目印 

                                            

ムルデカ広場の隣に建つ国立歴史博物館

マレーシア・マラッカ

今日はマラッカから
 私は、現在、中国の昆明にいる。昨日、中国雲南省シャングリラから戻り、ここに1泊して明日、シンガポールシャンギ空港Singapore Changi Intl Apへ移動の予定である。私はこの昆明の街が好きで、特別に目的もなく、ブラブラするのが楽しいのである。気候のせいもあって穏やかなのである。私のような旅人も結構多く、お互いに旅の話をしたり、世間話をしては時間をつぶしているのである。
 今日のお話は、(私が勝手に名付けた)「路上マッサージ」である。道路脇に並べた椅子にお客さんに座ってもらって、目の不自由なマッサージ師がカセットテープで音楽をサービスしながらマッサージを施すのである。ところが私が想定していたことと「違った」。何が、どこが「違うのか」、お分かりになりますか?きっかり15分の時間がなぜ全盲のマッサージ師に分かるのか?以前、私達が開発した特殊な材料とセンサー技術を使って視覚障害者の誘導技術の共同研究をN社と行なったことがある。その時、研究に参加された全盲の視覚障害者さん達が、カヴァの無い針のむき出しになった腕時計を使って針に触って時間を認識していらっしゃるのを覚えているが、ここは時計は使いません。もう、お分りですね?お分かりにならない方は、余程深く科学する方だと思います!そうです、15分間の音楽を流していたんですね。もうひとつ。料金のコインはともかくもお札(さつ)がどうして分かるのか、未だに分かりません。
 肩のコリが楽になった所で、明日以降の旅行日程である。目的地はシンガポールではなく、マレーシア国内の旅行である。空港からMRT(電車)でジョホール・バル(JB)へ移動し、ちょっとブラブラして、旅のスタートはマラッカからである。ジョホール・バルへの移動中に何かと面倒を見てくれたおばさんに、マレーシアで一番交換率の良いのは街の両替商であることを教えられたので、それに従った。RM1(マレーシァン・リンギット)=¥31であった。このハリキリ親切おばさん、「アルコール飲料は高い。ビールは低課税なのでビールを飲め」とも教えてくれた。その迫力に思わず、「ハィっ」と言ってしまった。

路上マッサージ。15分で20元
路上マッサージ。白衣を着た方達がマッサージ師である
ジョホール・バルからマラッカへのバスチケット
豪華バスの内部

オランダ広場付近
 あちこち寄り道しすぎたので、今日は、いきなりマレーシアのマラッカである。マラッカのバスステーション、マラッカ・セントラルMelaka Sentralは、町の中心から2.5キロメートルほど北にある。中心部へはローカルバス17番に乗車、バングアン・メラBanguan Merahで下車すると、オランダ広場Dutch Squareが目の前にある。この広場はマラッカ川に架かる橋の目の前に位置する広場である。まさに、マラッカの市街中心部にあり、濃いピンク色のスタダイスStadthuys、ムラカ・キリスト教会Christ Church Melake、時計台など、オランダ統治時代の建物が建ち並ぶ。
 予約しておいたホテルのチェックインを済ませ、シャワーを浴びた後、早速、ブラブラ開始である。

オランダ広場
オランダ広場から海の博物館方面へ行った所にある水車
マラッカクルーズを楽しむ観光客
オランダ広場。右側のマラッカ・クライストチャーチChrist Church Melakaが目立つ
マラッカクルーズを楽しむ観光客
海の博物館 Maritime Museum
海の博物館。巨大な木造船
博物館内部
マラッカ川沿いは観て良し、歩いて良し、船に乗って良し、一人で良し、二人で良し
派手に飾って売り歩く
マラッカとイスラム教の歴史を知るムラカ・イスラム博物館Melaka Islamic Museum。刺繍の入った布や装飾品などを並べた狭い展示室が1つある博物館で、2008年に世界文化遺産に登録された
マラッカ郵便博物館
1912年に建設された独立宣言記念館。マレーシアが独立に至るエピソード、絵画などが展示されている
地元では「ファモサ」と呼ばれるサンチャゴ砦 Porta de Santiago。1511年に対オランダ戦に備えてポルトガル軍によって建設された砦跡である。大砲も備えているせいか、スタイダスに次ぐ人気がある
フランシスコ・ザビエルとセント・ポール教会St. Paul’s Church。ザビエルはここに居を構えた時期があり、1549年にはこの地から日本に向けて出発した
セントポールの丘(St. Paul’s Hill)に建てられたDemocratic Government Museum
マラッカキリスト教会内部
ジョンカー通り
ジョンカー通り
チャイナタウンのジョンカーストリートにある福建會舘&お寺。福建省の歴史等の紹介や海の神様である媽祖を祀る場でもある
ジョンカー街公園

チャイナタウン
 オランダ広場の北西にある橋を渡ると立派な邸宅が並ぶ。マラッカの中心であり、15~19世紀に「ババ・ニョニャThe Baba Nyonya Heritage」あるいは「プラナカンPeranakan(海峡華人)」文化が隆盛を極めた地域である。文献によると、ババ・ニョニャとは中国本土から渡ってきた中国人男性と、地元のマレー系女性が結婚して生まれた子孫のうち、男性がババ、女性がニョニャと呼ばれる。彼らは日常的な生活、例えば、言葉、食文化、衣服などにマレースタイルを取り入れる。他方では、冠婚葬祭には中国古来の習慣に従うのである。つまり、彼らはマレー人としてイスラム教徒になることは無く、マレー文化を取り入れた中国人(華人)なのである。
 トゥン・タン・チェン・ロック通りJl. Tun Tan Cheng lockとハン・ジュバッ通りJl. Hang Jebatと呼ばれる2つの目抜き通りをまたぐように建てられた長さ50メートル~60メートルの長屋風の邸宅が並んでいる。交易で富を築いたババ・ニョニャ達の邸宅である。

露天商が続く
チェン・フン・テン寺院の並びに建つ1728年に建てられたカンポン・クリン・モスク Kampong Kling’s Mosque。スマトラ様式の3層の屋根を持つ。左側に見える白亜のミナレットはパゴダに似ている
阿弥陀仏をご本尊として祀った香林寺。1988年にマラッカのチャイナタウンのハーモニー通りに建っている
1728年に建てられたマレーシア最古のイスラム寺院
船からサン・フランシスコ・ザビエル教会 St. Francis Xavier’sChurchを撮影。この教会の名前はザビエルだが、サン・フランシスコ・ザビエルとは関係ない。ザビエルが居たのは丘の上にあるセント・ポール教会である
サン・フランシスコ・ザビエル教会 St. Francis Xavier’sChurch。1849年にフランス人によって建てられた二つの塔を持つ教会
教会内部
サン・フランシスコ・ザビエルSt. Francis XavierとやじろうYajiroの像

マラッカ市街東部
 マラッカ市街東部に位置する「ポー・サン・テン寺院とスルタンの井戸」、「セント・ジョンの砦」「ポルトガル村」などを訪ねる。

ポー・サン・テン寺院とスルタンの井戸
 1795年に建てられたポー・サン・テン寺院 Poh San Teng Temple。1409年と1411年の明王朝皇帝からの使節派遣を記念して造られた寺院である。この寺を多くの観光客が訪ねる目的は、『スルタンの井戸Sultan’s Well』を見るためである。「干ばつでも水が枯れなかったことからパワースポットとなっている」とのことである。でも、なかなか見つけられず、近くでペッポトルの水を売っていたおじさんとおばさんは、にこにこである。「ポー・サン・テン寺院とスルタンの井戸」を一対の言葉として覚えていて、寺院の門をくぐる度に迷ってしまうのである。門から入らずに広場側(右手)に進むと、塀に囲まれた中央に『スルタンの井戸』があります。この水は飲めません。ということは、「干ばつでも水が枯れないパワースポット」ではなく、「飲み水を必ず入手できるパワースポット」なのである。オランダ広場から徒歩15分くらいと、ちょうど水が欲しくなる距離ですよね。
 もう一つ。この井戸に背を向けて投げ込んだコインが輝きながら沈んでいくと、またマラッカを訪れることができるそうだ。

1409年と1411年の明王朝皇帝からの使節派遣を記念して1795年に建てられたポー・サン・テン寺院Poh San Teng Temple。この入口から入ってもスルタンの井戸には辿りつけない
「スルタンの井戸」。マラッカで一番古い井戸
スルタンの井戸
セント・ジョンの砦
セント・ジョンの砦から眺めたマラッカの町
同じく、砦から眺めたマラッカの町
ここまでセント・ジョンの砦

ポルトガル村
 かつてこの地を支配していたポルトガル人の子孫が「ポルトガル村Portuguese Settlement」と呼ばれて暮らしている地域(ポルトガル・スクエア)がある。その多くはポルトガル名を持つカトリック教徒だそうだ。私が訪ねた時期は季節外れなのか人の出入りが少なかったが、毎年6月下旬に行われる「サンペドロ祭」では、盛大なシーフード祭りが行われるそうである。

ポルトガル村の入口には、「ポルトガル村へようこそ」の大きな看板が建てられている
ポルトガル村の入口には、「ポルトガル村へようこそ」の大きな看板が建てられている
地元の漁民が漁に出かける磯船
貝を採るおばさん
採集した貝の身