ムンバイーからコルカタへ
インドの北東部にあるコルカタ(カルカッタ)は、人口1400万人を超える大都市である。あらかじめネットで予約しておいたジェット・エァウェイズの格安航空券を使い、インド最大の都市ムンバイー(BOM)からコルカタ(CCU)に飛んだのだが、人いきれというか、匂いがすごい。人口密度は、首都デリーやムンバイーを超えるのだから当然かもしれない。フライトは特別の遅れはなく、3時間弱で到着した。「空港カウンターで支払うプリペィド・タクシーが安全かつ安いよ」と、英語で話しかけてきた中国人の青年と二人でエアコン付きタクシーで市内までRS350であった。
さすが中国人、アジアの歴史について詳しい。今回、会社勤めを辞めて、約1カ月間、インド各地を回るらしい。それで、インド各地について勉強し、色々な情報を持っている。一緒に乗ったタクシーの中で学ばせてもらったことを次のコルカタ略史に超簡単に記したい。
コルカタ略史(英国統治時代はカルカッタ)
「インド史上、最大にして最後のイスラム帝国であるムガール帝国の時代、ベンガル地方は絹織物、綿、藍などの特産物で知られ、また、交通の要衝であった」から始まって、…、時が経ち、その後、政治的争いから「コルカタは寒村になり」、…、一気に17世紀末にとぶ。「17世紀末」とは?…、…。そうです、コルカタがその歴史で注目されるのは、英国がこの地にインド植民地の拠点、『東インド会社』を設置した17世紀の末頃からである。長い間小さな漁村の一つに過ぎなかったコルカタに、英国が資本投下を次々と進め、加速度的に今日のような大都会に発展したのであった。
ドッキネッショル寺院
コルカタの雑踏から離れ、フーグリー河畔に向かう。ここに架かる著名な橋、ハウラー橋の写真を橋梁工学を専門とする友人から頼まれていることと、湖畔に佇む美しいお寺、『ドッキネッショル寺院』を訪れるためである。ここは、ラーマクリシュナ教団として知られる聖者ラーマクリシュナがかつてこのドッキネッショル寺院にいたことでも有名である。
ナコーダ・モスク
“ヒンドゥー教の国インド”という固定されたイメージがあるが、実はこの国は様々な宗教、例えばイスラム教、仏教、シーク教などが交錯する多宗教国家である。旅行案内書によると、その中でもイスラム教徒は全国民の13%、大まかな単純計算ではなんと1億4千万人を超えるそうだ。この世界有数のイスラム教徒が集中する国で、人口500万人を超える大都市のコルカタである。当然、モスクがあるはずだ?そこはそれ、相変わらずの方向音痴で、迷って、通り過ぎて、…、行ったり来たり、ありました。そうです、『ナコーダ・モスク』である。
ナコーダ・モスクは、1926年に建造されたコルカタで1番大きなモスクである。このアーグラー郊外のスィカンドラーにあるアクバル廟を模倣して建造されたと言われている。『スィカンドラー』については、既に本ブログで、『タイトル;北インド・アーグラー市内~アーグラー市内をブラブラ~』と題して、ご紹介した。繰り返しになってしまうが、1613年にアクバル帝のために、息子のジャハーンギールが建てた墓所である。
緑色のドーム屋根と赤砂岩で造られた絶妙の組み合わせは、周囲の喧騒と雑踏の中にあってひときわ落ち着いた雰囲気を持つ。多くのモスクがそうであるように、吹き抜けがあり、そして天井が高く、一緒に1万人が祈ることのできる開放感のある大きな空間が特徴的である。床は、大部分が大理石であり、信者達が床にひざまずいて聖地メッカのカアバ神殿の方向を示すミフラーブ(壁のくぼみ)に向かって静かに祈っておりました。
ナコーダ・モスクから北東に1キロメートルも歩くと、フーグリー河に架かるハウラー橋がある。この界隈は市場も多く、フェリー乗り場も近いことから人出が多く、活気のあるエリアである
Victorianヴィクトリアン
『ヴィクトリア記念堂』は、インド皇帝でもあった英国のヴィクトリア女王を記念して建造された。1901年に女王がお亡くなりになり、4年後の1905年に建設に着手、1921年に完成した。一般的には、「西洋建築」と言われているが、青い空に輝く純白の大理石の姿は、確かに『タージ・マハル』をモデルにして造られたと言われれば、そんな気もするが…。
英国には、何かを評価したり、感想を述べる時に「Victorianヴィクトリアン」という表現がある。「ヴィクトリア調」とでも訳すのであろうが、彼らと長く付き合っていると、隠語的に使う場合もあることに気づく。民俗、階級、教養などによって使う英語が違う彼らのこと、状況によるが、“金持ち趣味”のような皮肉を含めることもある。
チョウロンギ通りに沿って
公園の東側を東西に走るチョウロンギ通りはコルカタを代表する幹線道路で、この通りに沿うように多くの有名な寺院や博物館がある。エコノミーホテルが多く、若者達が集まるサダル・ストリートとチョウロンギ通りが交差する辺りには、地下鉄「パークストリート駅(Park Street)」や市バス、ミニバス乗場が近接し、北側にはインド博物館があるので遊び歩きには格好の場所である。また、地下鉄「パークストリート駅」から一駅南側の地下鉄「メダン駅」や二駅南側の地下鉄「ラビンドラ・サロバー駅」からは、ビルラー・プラネタリウム、ヴィクトリア記念堂、セントポール寺院などの見所が近い。
ご紹介の順番が逆になったが、実はコルカタはインドで最初に地下鉄ができた街である。但し、地下鉄構内の写真撮影は厳禁なので要注意です。
インド博物館
インド博物館は1814年に創立された200年以上の歴史を持つインド最古の博物館であるとともに、最大の博物館である。考古学、美術、人類学、地質学、動物学、植物学の6部門がある総合博物館で、とくに古代インド美術のコレクションは世界的にも有名である。それぞれ持ち込み料を支払うことによって、 カメラ(Rs50)やビデオ(Rs1000)の館内撮影が許されている。
道路を挟んでモイダン公園の向かい側にあるので、ヴィクトリア記念堂からだと公園を散歩しながら30分ぐらいである。地下鉄の好きな方は、パーク・ストリート駅から歩いて5分ぐらいである。
マザー・テレサの家
マザー・テレサ(別名;コルカタの聖テレサ)は、1910年8月26日にオスマン帝国のユスキュプ(現在の北マケドニア共和国スコピエ)に生まれ、1997年9月5日にここインドのコルカタ(カルカッタ)で亡くなっている(享年87歳)。母のドラナ(Drana)はルーマニア人、父のニコ(Nikollë)はルーマニア人と同系の少数民族・アルーマニア人であった。本名は、アグネス・ゴンジャ・ボヤジュであり、修道名がテレサ、“マザー”は、指導的な修道女に対する敬称である。
1929年から1947年までコルカタの聖マリア学院で地理と歴史を教え、1944年には校長に任命されている。