西インド・アジャンター石窟群

アジャンター石窟とは
 インド国内の主要都市からのフライトがあり、列車やバスの交通アクセスにも恵まれている『アウランガーバード』は、近隣の『エローラ』や『アジャンター』の遺跡を訪ねるのに便利な位置にある。近隣と言っても、アジャンターは、アウランガーバードから、100キロメートル以上も北東に位置する。日本国内からの団体のツァーにも登場しているが、苦手な私目は一人旅で、昨日は『エローラ』、今日は『アジャンター』と忙しい。
 そのアジャンターであるが、中央アジア、中国、日本などの古代仏教壁画の源流と言われ、高温多湿のインドにあって極めて完成度の高い壁画が残っているのである。
 旅行案内書等によると、アジャンターの開窟は前期、後期の2期に分かれ、以下のような記載が多い。
 ①前期=紀元前1世紀頃からの上座部仏教期の前期窟;内部には装飾も少なく、仏像概念が無かった時代なので、ストゥーパを礼拝対象に刻み出した(8,9,10、12、13の5窟のみ)。
 ②後期=紀元5世紀の大乗仏教期の後期窟;インド文明が輝く5世紀の中頃、当時のヴァーカータカ帝国の篤信家(とくしんか)達が当時の最新技術を駆使して造営を始めた。具体的には、チャイティヤ窟(塔院)は5窟、他は僧侶の住居となるヴィハーラ窟である。
 しかし、突然であるが、アジャンターは、職人達はもとより、僧侶達まで忽然と姿を消してしまったのである。理由はヴァーカータカ帝国(デカン北部を3世紀中頃から6世紀中頃まで支配した帝国)の崩壊だと言われているが、確かめようがない。そして、なんと1819年、マドラス(現チェンナイ)駐屯の英国騎兵隊士官によって発見されるまで眠っていたのである。

モーニングバス
 アウランガーバードからアジャンター遺跡へは朝8時半にツァーバスが出ているが、ホテルのスタッフの勧めで6時半頃出発の現地の人々が言うモーニングバス(Morning bus)を利用した。このバスの中から(走行しながら)美しい赤い朝日を拝めること、1時間ちょっとと時間がかからないことが理由である。予定の時間通りに、アジャンター石窟群近くのTジャンクション(Ajanta Caves T-Junction)に到着、待っていたシャトルバスに乗り変えて約10分、Rs10で無事に遺跡に到着である。ここから、急な坂をチケットオフィスまで5分間ほど歩く。結構多くの観光客が並んでいた。

アウランガーバードからアジャンターへ向かうモーニングバス(Morning bus)
現在、2013年2月の朝 6時 50分。まさに夜明けである。バスの中から早朝の赤い太陽を見るのは、1996年モロッコのマラケシュからフェズに向かった時以来だ
アジャンター石窟群近くのTジャンクション。現地の人々が言うモーニングバスはここで乗降する
Tジャンクションから石窟手前の駐車場の入口までこのシャトルバスで移動する。ガソリンを使わないエコバスである(料金;Rs10)
急な坂をチケットオフィスまで5分間ほど歩く

見学開始
 1819年、マドラス(現チェンナイ)駐屯の英国騎兵隊士官によって1500年以上を経て密林の中から発見されたアジャンター石窟群の見学は、見学と言うより信仰の場そして僧侶達の息遣いが感じられる、身震いするような空間に立つ思いである。中でも第1窟はヴァーカータカ帝国の皇帝ハリシェーナが開窟した場所として最も有名である。ここから見学を開始したい

アジャンター石窟群の位置図
石窟が見えてきた。胸の高まりを覚える
渓谷に沿って窟が刻まれている

 第1窟は、豪華な造りの石窟で、投入された絵師たちも優秀で、壁画の完成度が高いと言われている。

第1窟。王宮で潅水を受けるマハージャナカ王
蓮華手菩薩
ブッダを祀る本堂
柱頭部分の彫刻
第2窟奥廊 千体仏
第2窟
第10窟ストゥーパ
第 9窟ストゥーパのアップ画像
第 10窟ストゥーパ
第 10窟内部に残る仏像画
第 11窟の天井。白黒だが鳥や草花が描かれている
第 11窟の奥に鎮座する仏像
第 16窟へ上る階段、エレファンタゲート
第 16窟
第 17窟前廊左 釈迦像
釈迦像
第 17窟前廊右。ブッダの前世の物語である「ジャータカ物語」がテーマ。羅刹女を退治に行くシンハラ王の軍隊
第 19窟 後期の、祈りのためのチャイティヤ窟。ファサードの多彩な彫刻が目立つ。これらの彫刻は後世に追加されたもの
ストゥーパは仏像と一体化しているため、礼拝の対象は仏像になっている

 

インド最大の涅槃像

 

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