南のチェンナイから西のアウランガーバードへ
『南インドのチェンナイ(MAA)』から『西インドのムンバイー(BOM)』経由で『西インドのアウランガーバード(IXU)』へ飛行機で一気に移動する。ここは、人口100万強のデカン高原の古い市場町で、町の名前はムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブ帝に由来する。御存知かと思いますが、「…バード(… bad)」 はイスラム系の町の名前を表す言葉である。因みに、「… pur 」はヒンドゥ系の町に使われる言葉である(例;ジャイプル)。
『アウランガーバード』の『チッカルターナ空港』から市の中心地へ約8キロメートルと近い。小さな町なので分かりやすく、アウランガーバードを起点として、明日以降の『エローラ石窟寺院』と『アジャンター石窟群』の見学に出かけることにする。今日は日曜日であるが、幸運なことに『アジャンター石窟群』は月曜日が休み、『エローラ石窟寺院』は火曜日が休みと両観光地の休みは重複していない。でも、出会った旅行者の中には曜日を勘違いして、両方を観光することができず、涙をぬぐっていた人もいた。
エローラ石窟寺院
アウランガーバードのセントラル・バススタンドから『エローラの遺跡』まで30分に1便、所要約45分、Rs15で行くことができる。降りたいバス停が近づいたら車内に張られたロープを弾くと、鐘の音がして運転手が停車してくれる、懐かしいバスが運行されていた。アジアのどこの町だったろう?旅情が次第に高まってくる。
デカン高原の岩山をくり抜いた34の石窟が南北約2キロメートルにわたり連なっている。このエローラ石窟を簡単にまとめると、①南端の第1~12窟は仏教石窟群(5~7世紀)、②第13~29窟はヒンドゥー教石窟群(7~9世紀)、③北端の第30~34窟はジャイナ教石窟群(9~10世紀)というように仕分けされる。このように、インド発祥の3つの宗教の寺院群が1か所に集まる世界でも例をみない遺跡がエローラ石窟群である。石窟は年代順に並び、同時期の異なる宗教の石窟もあり、宗教に寛容なインドの精神的な多様性というか、懐の深さというか、圧倒されるのである。
後述するように、エローラ石窟群はアジャンター石窟群、エレファンタ石窟群と並ぶインド三大石窟の一つであるが、この中でも、3つの宗教の石窟が見られるのはエローラ石窟群だけである。いずれにしても写真の整理だけでも大変なので、大まかに確認しながら(サボタージュをしながら)写真を掲載していきたい。
仏教石窟群
先述したように、エローラ石窟群の第1~12窟は5~7世紀に造られた仏教石窟である。石窟の番号順に見学したわけではなく、人の流れにまかせて見学したので、結局、記録として残っている写真の順番に沿って記憶を呼び起こしてみたい。
最初は第15窟である。
ヒンドゥー教石窟群
第16窟の『カイラーサーナータ寺院』を挟んで、第13~29窟の全部で17窟から成るヒンドゥー教石窟群は7~9世紀の石窟群である。仏教が衰退していく中で勢いを増していくのがヒンドゥー教である。全体的に言えることは、僧達の居住空間であるヴィハーラ窟が無く、つまり修行の場ではなく、神々を祀る場になっていることが理解できる。これから写真でお目にかけるが、彫りの豪快さ、躍動感が際立っている。
このエローラ石窟群を代表する第16窟の『カイラーサーナータ寺院』からヒンドゥー教石窟群の見学をスタートしたい。
ジャイナ教石窟群
北端の第30~34窟は、カイラーサナータ寺院より1キロメートル北に位置するジャイナ教石窟群である。ラーシュトラクータ朝第6代のアモーガヴァルシャ1世(814-878)によってジャイナ教が保護された。建造は9~10世紀である。
エローラからアウランガーバードに戻る
エローナの石窟寺院の見学を終えて、アウランガーバードに戻る。エローラからアウランガーバードのセントラル・バススタンドまで約1時間、1時間に1~2便の運行があり便利であるが、実はラッキーなことに石窟寺院の見学中にお助け日本人が現れたのである。北陸出身の男性一人旅で、「旅行に慣れていないのでタクシーを1日チャーターしてエローラを廻り、これからアウランガーバードに戻る」ということであった。彼のご厚意に甘えて、幾分かのお金をタクシードライバーに渡して、私の次の訪問予定のアウランガーバードの『ダウラターバードビービー・カ・マクバラー廟』で降ろしてもらうことにした。
『ダウラターバードビービー・カ・マクバラー廟』については、既に上梓した『タイトル:インド・アーグラー郊外』の『タージマハル』の項で簡単にご紹介させていただいたが、ここでもう少し加筆したい。ビービー・カー・マクバラーは、ムガール帝国第6代アウラングゼーブ帝の第一皇妃ディルラース・バーヌー・ベーグムの霊廟である。一見して分かるように、アーグラにあるアウラングゼーブ帝の母の霊廟タージ・マハルにそっくりである。それもそのはず、この廟はタージマハルに似せて作られたもので、「デカン高原のタージ」とも呼ばれているのである。案内書によると、第一皇妃ディルラース・バーヌー・ベーグムは、ペルシアのサファヴィー朝の創始者イスマイル1世の子孫で、したがって裕福であったことから、自らの出費で建てたとも言われている。