北インド・オルチャ

ボーパールからオルチャへ移動
 今日は随分お世話になった、思い出がたくさんできたボーパールからオルチャへ移動することから始まる。先ず、ボーパール駅(BPL Junction)からジャンシー(Jhansi)へ列車で移動する。旅行ガイドブックには、ジャンシーからオルチャ(Orchha)へはオートリクシャー(Auto Rikusha)あるいは乗り合いオートリクシャーで移動すると書いてあったが、ジャンシーは乗客であふれかえっていて乗り物の選択の余地はなく、結局、乗り合いオートリクシャーで45分、Rs250であった。ぎしぎし音を立てながら悪路のコーナーを曲がる時は、手に汗を握るほど怖かった。

Bhopal→Jhansiの列車チケット(Rs155)
ジャンシーで客を待つオートリクシャー
チャトルブージ寺院。オールチャーを治めていたマドゥカル=シャーが建て始め、息子の時代に完成した。ビシュヌ神の化身クリシュナを祀るヒンドゥ教の寺院である。窓の形や塔の形はイスラム調に見える
町の中心にあるヒンズー教の寺院、ラーム・ラージャ寺院。この寺院は、16世紀にマハラジャの王妃の宮殿として建てられたが、現在はヒンズー教寺院となっている 
オルチャの村の中心から500メートルほど南のベトワ川沿いに王墓群、チャトリ(Chhatris)がある
近くにこのような店が並んでいる。鮮やかな色彩である
ジャハーンギール・マハル。17世紀のプンデラ朝の王ビール・シンク・デオがムガール帝国のジャハーンギール帝を迎えるために建築した宮殿 

もう一晩オルチャで過ごしました
 デカン高原中央部に位置するオルチャの朝である。おばちゃん、おじちゃんが、新鮮な野菜や果物を歩道に並べて小さな朝市を始めている。よく分からないが、オルチャは「隠された場所」と言う意味だそうで、16世紀から18世紀にかけて繁栄したブンデラ王国があった街だそうだ。
 比較的空気が澄んだ町で、朝早くからプール・バーグ庭園に人々が訪れている。

街頭の野菜売場
街頭の野菜売場
プール・バーグ(PhoolBagh)
インドの牛って、こんなに精悍な顔をしていただろうか。それとも近くに寺院があるので、きちんとひざまずいて祈っているのだろうか?

 オルチャの中心部の高台に向かって歩くと、オルチャ全体を見渡せるチャトルブージ寺院がある。オールチャーを治めていたマドゥカル=シャーが建て始め、息子の時代に完成したヒンズー教寺院である。眼下に美しい寺院であるラーム・ラージャ寺院を見下ろすことができるせいか、係員がいて観光客を見ると「塔を上らないか」と話しかけてくる。「上らない」か、無視する。何故か?無料ではありません、チップが必要です。そもそも係員は要らないのです。

ラーマを祀るヒンドゥー教徒の聖地ラーム・ラージャ寺院
ラーム・ラージャ寺院の一部を額縁風に納めてみました

 この辺りは寺院が多いせいか、色々な寺院をまとめて示した案内板が便利である。ラージ・マハルは、ラドラ・プラタプが1531年に建築を開始し、16世紀後半にマドルカール・シャー王が完成させた5階建ての宮殿である。台所、王の寝室、王妃の間などの美しい壁画があり、またヴィシュヌの化身やラーマ・ヤナを描いた壁画などは保存状態がいいが、撮影を禁じられたためにお見せ出来ないのが残念である。天井には、装飾のある部屋もあった。

色々な寺院の方向をまとめて示した案内板
ラージ・マハルは、ラドラ・プラタプが1531年に建築開始し、16世紀後半にマドルカール・シャー王が完成させた5階建ての宮殿

 ジャハンギール・マハルは、ムガル帝国の第4代皇帝ジャハーンギールがオルチャに来ることになり、そこに滞在するためだけに1606年にビール・シン・デオが建てたという宮殿である。ガイドブックによると、当のジャハン・ギールは1泊しかしなかったらしい。裏手にあるのは駱駝(ろば)小屋である。
 ラクシュミー・ナーラーヤン寺院は皆さんがお勧めする寺院である。広大なデカン高原を見渡せ、ジャハンギールマハル寺院、ラジ・マハル寺院、チャトルブジャ寺院などを見渡すことができる。建物内部にも、16世紀から19世紀までを描いた壁画・天井画も人気がある。

1606年にビール・シン・デオが建てた宮殿「ジャハーンギール・マハル」
「ジャハンギールマハル」を額縁風に収めました
ラクダ小屋(Unth Khana )
オルチャの中心から1キロメートルほど登った所にあるラクシュミー・ナーラーヤン寺院。ここから見下ろすオルチャの風景は超お勧めである。
オルチャのラクシュミー・ナーラーヤン寺院から見下ろしたオルチャの風景。かなり望遠を利かしているので、高低差が実感しづらい

ラクシュミー・ナーラーヤン寺院内部の天井画

天井画の一部

 

オルチャのブラブラが続く
 オルチャは狭い地域であるが、田舎風でおばさん達の人当りも比較的穏やかなので、好きになってしまい、カジュラーホーへの列車の時間を遅らせることにした。今日も朝からオルチャのブラブラ歩きを続けようという魂胆である。そうそう、「一日経ってから書くのでは遅すぎる」とお叱りを受けそうですが、村の広さと言い、風景と言い、くどい様だが人心と言い、旅人と村人との距離感がとても近く感じる村である。今からでも遅くありません。是非、自転車を借りて遊んでください。

珍しい風景なので
Jhansi fort 
シヴァ寺院
ガーネッシュ寺院
ガーネッシュ寺院
十の化身とヴィシュヌ。ヴィシュヌは、ブラフマー、シヴァとともにトリムルティの 1柱を成すヒンドゥー教の重要な神格である
踊るガーネッシュ

北インド・ボーパール&サーンチ

四度目のインド
 インドへの旅行は、2008年12月の公務一回を含めて4度目である。今回の旅は、私の旅行にしてはそれなりの目的をもって出かける珍しい旅である。“それなりの目的”とは言い過ぎで赤面してしまうし、新たに稿を起こすのは(失礼ですが)面倒なので、数年前に友人に出した年賀状を、これも恥ずかしいのですが、ここにそのまま転用します。

『明けましておめでとうございます。
春に恒例となった中国一ヶ月旅行に出かけ、三国志ゆかりの合肥、青島、泰山、孔子の世界文化遺産「三孔」(孔廟、孔府、孔林)がある曲阜、唐代に王侯貴族の美術品、副葬品として作られた唐三彩の収集で著名な洛阳(博物館)、敦煌の莫高窟、大同の雲岡石窟と並ぶ中国三大石窟の一つ・龍門石窟、漢字の起源と言われる甲骨文字(ヒエログリフ、楔形文字と並ぶ世界最古の象形文字)の発見で有名な安陽等々を旅してきました。
 秋には五週間をかけて五年ぶりにインドとネパールに行ってきました。そろそろの年齢?になり、また☆☆☆にも「そんなに待たせない」と言ったてまえ?…、仏教における重要な仏跡を訪ねました。仏陀生誕の地「ルンビニ」、成道の地「ブッダガヤ」、初転法輪の地「サルナート」、涅槃の地「クシナガル」、ブッダ教団の地「ラジギール」、仏典結集が行なわれた「ヴァイシャリ」、仏教大学が栄えた「ナーランダ」などです。もちろん、岩絵で著名な世界遺産ビームベトカ、二千年前のアショカ王時代の仏塔が残るサーンチ、ヒンドゥーとイスラム双方の影響を受けた建築物が点在するオルチャ、カジュラーホー、バラーナシ、そしてアルプスを望むネパールのポカラやカトマンドゥ等々も。
 私たち家族への多くの人達のご好意に感謝をしながら生活しています。
本年もよろしくお願いいたします。』

 以上、ズルして年賀状から転記させていただきました。

ニューデリーからボーパールへ
 大層な文章を御紹介してしまいましたが、数日間はいつものブラブラと言うか、肩慣らしである。ボーパール(Bhopal)とサーンチ(Sanchi)から始めます。ボーパールは、インド中部のマディヤ・プラデーシュ州の州都である。ニューデリー(New Delhi)からボーパールへは、全席が椅子席のエアコン指定車両で、「インドの新幹線」と言われる「超特急シャタブディ・エクスプレス」で向かう。停車駅はデリー、マトゥラー、アグラー、モレナ、グワリオール、ジャンシー、ボパールである。予備知識が無かったので嬉しかったのは、お茶や昼食が無料で提供されたことであった。
 インドの食習慣について詳しくなかったので、提供された順番に並べるが、これがいつも通りなのか、私に特別多くくれたのか定かではない。と言うのは、私には量が多すぎると感じたせいであるが、周りの席に乗客がいなかったので確かめようがなかった。

ニューデリー発ボパール行きの超特急シャタブディ・エクスプレスの中で最初に配られた(9時50分頃)
次に10時50分頃に配られた(朝食)
11時55分頃に配られた(昼食?)
これが12時09分頃に配られた昼食で、野菜、チャパティ、ダル、アイス等々、なかなかいける
12時32分

ボーパール
 ボーパールは、人口100万を超えるプラデーシュ州の州都であるが、いわゆる見所といった所が無い。多くの観光客は、アショーカ王の仏塔などで有名なサーンチーへの入口として訪れるようである。ただ、駅員から、湖の北側になるボーパールの旧市街にはモスクがあり、中でも「タージウル・マスジット(Taj-ul Masjid)はインド最大のモスクであると聞かされた。言葉通りだった。

ボーパール駅 2018年10月5日15時37
赤砂岩による壁面が美しい「タージウルモスク」。靴を脱げば、モスク内の広場を自由に歩くことができる
礼拝の時間を示す時計

サーンチー
 いきなりなんですが、『二千年前のアショカ王時代の仏塔が残るサーンチ』と立派なことを言っておきながら、大失敗をしでかした。カメラをホテルに忘れてきてしまったのである。忘れる時とはこんなもので、目的の仏塔(ストゥーパ)遺跡の入口近くにある考古学博物館を写そうと、カメラをバッグから取り出して、「えっつ!」。「カメラが無い」、お先、真っ暗。乾いた唇を舐めながら、ごそごそ、ぼそぼそ。博物館の入口で、コートを脱ぎながら、ごそごそ、ぼそぼそっ。怪しい男だと思ったのか、「Are you OK ?」。「アーではなくエィ you OK ?」。咄嗟に「お互いにベラベラ」。とてもスマート(smart)な中国人の青年だった。「今、私の大きなラゲッジは博物館の荷物預かりに預けてあって、受け取った後にバスでボーパールに向かわなければならない。私の写したストゥーパの写真で良ければ後でメールでお送りしますので、…、これからゆっくり実物をお楽しみ下さい」。彼も大忙しだ、メール交換を行って、「とてもありがとうございます」。なぜか日本語が出てしまった。このブログで再三ご紹介するように中国の方々にはいつも助けてもらっているが、インドでも、…。普段から我が家で仏壇に向かって手を合わせているおかげだ。「南無…」。
 お助け中国青年とは今後の移動が逆方向になってしまうが、私の場合は、ここサーンチーのストゥーパ遺跡へはボーパールのバススタンドからヴィディシャー行きに乗って約1時間半で来た。20~30分おきに出ており、また、幹線道路沿いにある遺跡入口で停車するのでとても便利である。彼は私の逆を行けば、サーンチからボーパールのバススタンドに行くことができるわけである。
 さて、そのサーンチーである。インド亜大陸をほぼ統一したアショーカ王(在位紀元前273~前232年頃)が建てたストゥーパ(仏塔)がこの地にはほぼ形を変えずに残っている。ブッダはこの地を訪れていないが仏跡の一つとして知られており、歴史的にも仏教美術においても非常に重要なことから、「サーンチーの仏教建築物群」として世界遺産になっている。
 そのなかでも、アショーカ王が基礎を築いた第1ストゥーパが最古であり、直径36メートル、高さ16メートルの規模を誇る。レンガ造りの塔には仏舎利が納められ、塔の四方には日本の鳥居を思わせるようなトーラナ(記念門あるいは塔門)と呼ばれる門がある。4つのトーラナには、ブッダの誕生から入滅までの生涯の物語が繊細に彫刻されていて、多くの訪問客がカメラに収めていた。この大ストゥーパ第1塔の他、ストゥーパ第3塔、ストゥーパ第2塔など、穏やかで美しい空間を楽しむことができる。
 今回は、特に前述した私の失敗に端を発して、素晴らしい好青年から一眼レフに収めた見事な写真のコピーをいただき、皆さんに楽しんでいただきました。皆様、ありがとうございます。

ボーパールのバススタンドから約1時間半でサーンチーへ。幹線道路沿いにある遺跡の入口で降りる。遺跡は広々とした芝生の公園にある
大ストゥーパと南塔門
西塔門の南柱中央に彫られた菩提樹。解脱したブッダの象徴
考古学博物館には、アショカ王の石柱の上に乗っていた4頭のライオンの像がある。紀元前3世紀のオリジナルのものである

ビームベートカ
 ボーパールの南45キロメートルの丘の上に、「ビームベートカ」と呼ばれる岩窟群がある。ここには、1万年ほど前の中石器時代から紀元後の歴史時代に至るまでの当時の狩猟や宗教儀式の様子が描かれた岩絵が数多く残されていると言う。1888年に公式に記録され、1950年代に一般に知られるようになったと言う。2003年に世界遺産に登録された。
 ボーパールからビームベトカには、タクシーをチャーターすると片道約1時間かかって往復料金で約Rs1,200、オートリクシャーにはビームベトカの場所を分からない運転手もいるので、経済重視でバスを利用した。ボーパール駅(Bopal Junction R.S.)西側のハミディアロードを右折した所にあるバスステーションで「ホーシャンカバードHathaikheda方面」と係員に伝えると乗車するバスを教えてくれる。2時間くらい経って降車する時も車掌が合図をしてくれる。
 問題のビームベートカであるが、旅行案内書に書かれている情報しか持っていなく、この辺りの専門的な説明や学問的な意義については、私の及ぶ所ではなく、画像を並べることでご容赦願いたい。さらに、コンパクトカメラで撮った写真画像の質についても、いつも通りお許しいただきたい。

「ビームベートカ」の入口

ボーパール州立博物館
 岩陰遺跡の見学中に何となく言葉を交わした学生風の青年から「ボーパール州立博物館」のことを教えてもらった。ボーパールは、アショーカ王の仏塔を訪ねるための「サーンチー」や「ビームベートカーの岩陰遺跡」への入口と考えていただけに、「州立博物館」の存在は、とても貴重な情報であった。数日前にボーパールに到着した時に、駅員から「タージウル・マスジット」を勧められた情報に匹敵する貴重なものである。時間もあるし、私がこれから戻る、宿泊しているホテルからも近い。とりあえず、ボーパールからここまで乗って来たバスで戻るだけで良い。
 ボーパールの街は旧市街と新市街に分かれていて、教わった「州立博物館」は新市街にあった。入口近辺で掃除をしていた若者二人が、「ニッポン」と話しかけながら握手を求めてきた。英語で日本のことをしきりに質問してくる。彼らは外回りの清掃が仕事らしく、内部の展示に関する知識は詳しくなかった。

ボパール州立博物館の入口
チケット売場
ラタン・シン(西インドの小国メーワール王国の王)との恋物語で有名なパドマーワト女神の誕生の像
クリシュナの誕生像
馬乗り
博物館の中庭
MURGHAN KHO(ムルガン島?)近郊の戦い