インドのマドウライ
今回の旅は、前回に続いて同じくインドである。違いは、前回が北インド地域だったのに対して、今回は南インド→西インド→東インドと広域にわたる点である。
最初は、南インドのマドウライである。いきなりですが、ここで問題が起きた。スリランカのコロンボ経由でマドウライに入国したために、まだインドの紙幣であるルピーを持っていない。換金するために空港内の銀行に向かったのだが、未だ銀行が開いておらず、インドルピーへの換金ができなかったのだ。マドウライは、私が訪問した2013年時で、人口90万人強のタミルナードゥ州第3の州都なので、銀行業務などはフルタイム・オープンと勝手に思って油断していたのだ。今更であるが、スリランカで換金しておくべきだった。これが1つ目の失敗で、後の大失敗の原因でもある。
その大失敗である。マドウライ鉄道駅で翌日のトランジャブール行きの列車と3日後のチェンナイ行きの夜行寝台列車の予約をしなければならない。通常の窓口ではなく、駅の特別の事務所で、彼らに言わせれば「外国人用の特別予約」をしてくれるという。にこにこである。ところが、大問題というか、大失敗を起こしてしまう。「外国人用の特別予約」では、列車のチケットの予約はクレジットカードではできず、インドルピーの現金がなければ駄目だというのである。「プリーズ」とお願いしたが、基本的に、この国で「プリーズ」は通用しない。インドを理解するのに重要なキーワードは、「プリーズは通用しない」ことである。国際会議の場などで学問を論じる場合でも「原理原則にこだわる姿勢」、「厳しい質問」は徹底している。これはとても良いことであるが。
結局、ATMでインドルピーを引き出す羽目になったのだが、これが大問題を引き起こしてしまった。私は、ATMなるものが良く分かっていなく、(危険なことに)ATMの操作を周りの人達に手伝ってもらって、暗証番号だけを自分で入力するていたらく(為体)である。駅に戻って「外国人用の特別予約」の担当者にクレジットカードでの決済を再度お願いしたが、やはり「プリーズ」は拒否された。近くにあったATMを適当に操作しているうちに私のクレジットカードはATMマシーンに吸い込まれてしまった。今後の旅のホテルなどの予約事項は、クレジットカードが無ければ、全て無効である。お助けマン、助けてくれ。
現れました、お助けマン、N氏。結論から言うと、ATMの管理会社と銀行の双方に保証人と共に伺って、私のパスポートと保証人の身分証明書を提示する必要があるという。翌日、お助けマンが私のホテルに迎えに来てくれて、30キロメートル先にある銀行の支店長と支店長室で面談、ペナルティ無しでクレジットカードを取り戻すことができました。我々はお客さん扱いで紅茶をサービスされました。必要な金額のインドルピーも手にすることができました。すっかり調子に乗ってしまって、今後の旅行のために少額紙幣をたくさん入れてくれるようにお願いしたところ、通常の銀行窓口業務では係員に文句を言われるのですが、笑顔で応じてくれました。「プリーズ」もケースバイケースで通用するようです。
私のようなドジはそうそういらっしゃらないと思いますが、皆さんのインド旅行の参考までに、…、①お助けマンは、できれば社会的地位の高い人を(身分証明書に銀行員たちが頭を下げていました)。②紅茶を飲む余裕を。③さすがインドは英国の植民地を経験した国家そして人々。「better」の精神にあふれている。④コピーを取る店がとても少ない。日本を出国する前にパスポートなどのコピーを取っておくこと。
ミーナークシー寺院
ATM騒動でマドウライ滞在はあまりにも短くなってしまった。でもツァーに参加するのとは違って人間的な触れ合いを経験したことは、私流の旅の作法で、十分に楽しんだ。…。すみません、「全く懲りていないのです」。助けていただいた、N氏、そして皆さん、本当にありがとうございます。そのN氏の推薦、マドウライでこれ一つと言われれば、『ミーナークシー寺院』。「これだけでインドの歴史を相当勉強できます」。そう言われちゃ、挑戦しないではいられない。
ミーナークシー寺院は、魚の眼を持つと言われているドラヴィダの女神、ミーナークシー女神とその夫であるスンダレーシュワラ神(シヴァ)、そしてふたりの子供であるガネーシャやナンディーなどを祀ったヒンズー寺院である。ガネーシャは象の頭をした神、ナンディーはシヴァの乗り物の牡牛であり、名前を知らないまでも、本やTVなどでご覧になったことはあると思います。
林立する12の塔門(ゴープラム)とそれを彩る3300体と言われる神々の彫刻に圧倒される。お勧めに従って東西南北にある4ヵ所のゴープラムを重点的に観ることにした。極彩色とでも言おうか、その色遣いに驚かれるでしょう。
タンジャーヴール
思い出いっぱい?のマドウライからティルチラパッリ経由で次の訪問地の『タンジャーヴール』へ向かう。バスは高速道路を快適に飛ばした。途中、高速道路の走行車線を絵で区分けした表示版などに珍しいものがあり、思わずカメラを向けてしまった。乗り換えを含めて合計約4時間でタンジャーヴールの新バス・スタンドに着いた。
町の中心は旧バススタンド周辺であり、新バス・スタンドから旧バス・スタンドまでは74番のバスで20分と聞いたが、予約したホテルは新・旧・バススタンドの中間くらいに位置していたので、時間の節約のために旧バススタンドには移動せずに新バス・スタンドからオートリクシャーでホテルに直行した。
私がタンジャーヴールに寄る目的は、マドウライ、カーンチープラ、そしてクンバコーナムなどへの移動が便利であることが理由だったのだが、「この町に来て驚いた」というか、「タンジャーヴールの皆さん、ごめんなさい」。世界遺産にも登録され、「ビッグ・テンプル」と呼ばれている巨大な寺院『ブリハディーシュワラ寺院』には驚きました。タンジャーヴールは9世紀から13世紀にかけて栄えたチョーラ朝(THE IMPERIAL CHOLA)の首都だったのですね。そして、チョーラ朝の最盛期だった11世紀に造られた寺院だと教えられました。かなり遠くからでも寺院の塔を眺めることができるのは勿論、中に入ると、ヒンドゥー教の神・シヴァ神の乗り物である巨大なナンディ(牛)の像を祀っているお堂にも驚いた。ナンディー像の長さは6メートル、高さは4メートルと、インド最大のものであると教えられました。
今日は、タンジャーヴールを(ブラブラよりも小さく)ちょろちょろしてから、近くの『クンバコーナム』へ日帰り観光、そしてタンジャーヴール戻ってきて、ブラブラの予定である。
クンバコーナムへの日帰り観光
『クンバコーナム』は、タンジャーヴールから日中は1時間に4本とバスの本数も多いし、所要時間も1時間半と十分に日帰りが可能な場所にある。私は、列車に興味があったので列車を使ったが、バスの方が便利である。
街そのものは小さく、門前町といった感じである。その中でも、サランガパニ寺院はビシュヌ神を祭るヒンズー教寺院で、クンバコーナム最大級の寺院である。さらに言えば、南インドではティルチラパッリのランガナータスワーミ寺院に次ぐ伝統ある寺院でもある。本堂はチョーラ朝末期に建立され、残りは17世紀のナーヤカ朝によって造られたものである。
クンバーコナムから西に約4キロメートルある小さな町ダーラースラムにあるアイラーヴァテシュワラ寺院は、12世紀半ばにラージャラージャ2世により建立された。この寺院が面白いのは、建物自体が山車(だし)に見立てられており、建物の壁面には寺院を引く象や馬、車輪などが彫刻されている点である。大チョーラ朝の他の寺院に比べて小ぶりであるが、美しさ、繊細さ、彫刻全体の完成度は高い評価を得ている。
蛇足ながら、この町を訪ねる多くの方々はお寺巡りが主目的だと思いますが、12時~16時の4時間は休み時間なのでくれぐれも注意してください。
クンバコーナムへの日帰り観光を終えてタンジャーヴールに戻る
クンバコーナムを楽しませてもらった後、タンジャーヴールに戻り、市内観光へ出かける。ここのブリハディーシュワラ寺院は、1987年に先行して世界文化遺産に登録され、後に2004年にガンガイコンダチョーラプラムのブリハディーシュワラ寺院、アイラーヴァテシュワラ寺院が加わって、「大チョーラ朝寺院群」として範囲を拡大して登録された。