北インド・アーグラー市内

アーグラー市内をブラブラ
 昨日は、タージ・マハル、今日はアーグラー城や市内のブラブラである。朝8時頃、皆さん、行動開始だ。おじさんの日課だろうか?道路掃除である。市内牧場?に放牧されている牛さんも散歩、リクシャー(英語でRickshaw)も動き始めている。リクシャーとは、戦前に日本から輸入され広まった「人力車」からきている名前で、正確に言えばサイクルリクシャーである。ちょっとした遠出にはエンジンのついたオートリクシャーが一般的である。
 ロバは、いつでも、どこでも重労働。私も含めて、多くの日本人は可哀そうだと思うようだ。

朝の掃除。ちょっと風が吹くとゴミが飛んでしまって、このおじさん、何度も同じ動作を繰り返している。朝の体操と思えばよい
ここアーグラーでも市内牧場に牛の放牧がされている
ロバはいつでも、どこでも重労働

 タージ・マハルからヤムナー河に沿って3キロメートルほど北上すると、アクバル帝によって1565年に構築された赤砂岩の『アーグラー城』が大きな姿を見せる。南側にあるアマル・スィン門が入口で、多くの人々がカメラを取り出し、今日の1枚目がスタートする。

赤砂岩で築かれたアーグラー城の威容
濠を渡ってアーグラー城に入場する
ムガル朝の第3代皇帝アクバル帝が息子と后のために建てたジャハンギール宮殿
浴槽(ロイヤル・ハンマーム)
ジャハンギール宮殿内部
1648年にムガル帝国の帝シャー・ジャハーンによって建設されたモスク、ジャマー・マスジット。赤砂岩で造られたこの礼拝堂はインドで最大のものとも言われている
遠くに霞むタージ・マハル
ヤムナー河の方角から見たムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)。第5代皇帝シャー・ジャハーンが息子アウラングゼーブによって 幽閉された場所である
ゴルデノルーフ
ジャハンギールの王座
モスク
ヤムナー河の対岸にあるイティマド・ウッダゥラー廟
正門は赤い石で造られ白い大理石が嵌め込まれている
1613年にアクバル帝のために、息子のジャハーンギールが建てた墓所、スィカンドラー

 

正面から写したスィカンドラー
スィカンドラーの内部
スィカンドラーの天井
美の要素が凝縮され、そしてカリグラフィーが美しい
ヤムナー河の対岸にあるムガル時代のイティマド・ウッダゥラー廟。白大理石の透かし彫り技法は、のちにタージ・マハルに継承され、地元の人からは“ベビータージ ”とも呼ばれている
博物館を訪ねたが、工事中のために閉館。女性達が働いていたが、労賃は1日100円と聞いた

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