マレーシア・マラッカ

今日はマラッカから
 私は、現在、中国の昆明にいる。昨日、中国雲南省シャングリラから戻り、ここに1泊して明日、シンガポールシャンギ空港Singapore Changi Intl Apへ移動の予定である。私はこの昆明の街が好きで、特別に目的もなく、ブラブラするのが楽しいのである。気候のせいもあって穏やかなのである。私のような旅人も結構多く、お互いに旅の話をしたり、世間話をしては時間をつぶしているのである。
 今日のお話は、(私が勝手に名付けた)「路上マッサージ」である。道路脇に並べた椅子にお客さんに座ってもらって、目の不自由なマッサージ師がカセットテープで音楽をサービスしながらマッサージを施すのである。ところが私が想定していたことと「違った」。何が、どこが「違うのか」、お分かりになりますか?きっかり15分の時間がなぜ全盲のマッサージ師に分かるのか?以前、私達が開発した特殊な材料とセンサー技術を使って視覚障害者の誘導技術の共同研究をN社と行なったことがある。その時、研究に参加された全盲の視覚障害者さん達が、カヴァの無い針のむき出しになった腕時計を使って針に触って時間を認識していらっしゃるのを覚えているが、ここは時計は使いません。もう、お分りですね?お分かりにならない方は、余程深く科学する方だと思います!そうです、15分間の音楽を流していたんですね。もうひとつ。料金のコインはともかくもお札(さつ)がどうして分かるのか、未だに分かりません。
 肩のコリが楽になった所で、明日以降の旅行日程である。目的地はシンガポールではなく、マレーシア国内の旅行である。空港からMRT(電車)でジョホール・バル(JB)へ移動し、ちょっとブラブラして、旅のスタートはマラッカからである。ジョホール・バルへの移動中に何かと面倒を見てくれたおばさんに、マレーシアで一番交換率の良いのは街の両替商であることを教えられたので、それに従った。RM1(マレーシァン・リンギット)=¥31であった。このハリキリ親切おばさん、「アルコール飲料は高い。ビールは低課税なのでビールを飲め」とも教えてくれた。その迫力に思わず、「ハィっ」と言ってしまった。

路上マッサージ。15分で20元
路上マッサージ。白衣を着た方達がマッサージ師である
ジョホール・バルからマラッカへのバスチケット
豪華バスの内部

オランダ広場付近
 あちこち寄り道しすぎたので、今日は、いきなりマレーシアのマラッカである。マラッカのバスステーション、マラッカ・セントラルMelaka Sentralは、町の中心から2.5キロメートルほど北にある。中心部へはローカルバス17番に乗車、バングアン・メラBanguan Merahで下車すると、オランダ広場Dutch Squareが目の前にある。この広場はマラッカ川に架かる橋の目の前に位置する広場である。まさに、マラッカの市街中心部にあり、濃いピンク色のスタダイスStadthuys、ムラカ・キリスト教会Christ Church Melake、時計台など、オランダ統治時代の建物が建ち並ぶ。
 予約しておいたホテルのチェックインを済ませ、シャワーを浴びた後、早速、ブラブラ開始である。

オランダ広場
オランダ広場から海の博物館方面へ行った所にある水車
マラッカクルーズを楽しむ観光客
オランダ広場。右側のマラッカ・クライストチャーチChrist Church Melakaが目立つ
マラッカクルーズを楽しむ観光客
海の博物館 Maritime Museum
海の博物館。巨大な木造船
博物館内部
マラッカ川沿いは観て良し、歩いて良し、船に乗って良し、一人で良し、二人で良し
派手に飾って売り歩く
マラッカとイスラム教の歴史を知るムラカ・イスラム博物館Melaka Islamic Museum。刺繍の入った布や装飾品などを並べた狭い展示室が1つある博物館で、2008年に世界文化遺産に登録された
マラッカ郵便博物館
1912年に建設された独立宣言記念館。マレーシアが独立に至るエピソード、絵画などが展示されている
地元では「ファモサ」と呼ばれるサンチャゴ砦 Porta de Santiago。1511年に対オランダ戦に備えてポルトガル軍によって建設された砦跡である。大砲も備えているせいか、スタイダスに次ぐ人気がある
フランシスコ・ザビエルとセント・ポール教会St. Paul’s Church。ザビエルはここに居を構えた時期があり、1549年にはこの地から日本に向けて出発した
セントポールの丘(St. Paul’s Hill)に建てられたDemocratic Government Museum
マラッカキリスト教会内部
ジョンカー通り
ジョンカー通り
チャイナタウンのジョンカーストリートにある福建會舘&お寺。福建省の歴史等の紹介や海の神様である媽祖を祀る場でもある
ジョンカー街公園

チャイナタウン
 オランダ広場の北西にある橋を渡ると立派な邸宅が並ぶ。マラッカの中心であり、15~19世紀に「ババ・ニョニャThe Baba Nyonya Heritage」あるいは「プラナカンPeranakan(海峡華人)」文化が隆盛を極めた地域である。文献によると、ババ・ニョニャとは中国本土から渡ってきた中国人男性と、地元のマレー系女性が結婚して生まれた子孫のうち、男性がババ、女性がニョニャと呼ばれる。彼らは日常的な生活、例えば、言葉、食文化、衣服などにマレースタイルを取り入れる。他方では、冠婚葬祭には中国古来の習慣に従うのである。つまり、彼らはマレー人としてイスラム教徒になることは無く、マレー文化を取り入れた中国人(華人)なのである。
 トゥン・タン・チェン・ロック通りJl. Tun Tan Cheng lockとハン・ジュバッ通りJl. Hang Jebatと呼ばれる2つの目抜き通りをまたぐように建てられた長さ50メートル~60メートルの長屋風の邸宅が並んでいる。交易で富を築いたババ・ニョニャ達の邸宅である。

露天商が続く
チェン・フン・テン寺院の並びに建つ1728年に建てられたカンポン・クリン・モスク Kampong Kling’s Mosque。スマトラ様式の3層の屋根を持つ。左側に見える白亜のミナレットはパゴダに似ている
阿弥陀仏をご本尊として祀った香林寺。1988年にマラッカのチャイナタウンのハーモニー通りに建っている
1728年に建てられたマレーシア最古のイスラム寺院
船からサン・フランシスコ・ザビエル教会 St. Francis Xavier’sChurchを撮影。この教会の名前はザビエルだが、サン・フランシスコ・ザビエルとは関係ない。ザビエルが居たのは丘の上にあるセント・ポール教会である
サン・フランシスコ・ザビエル教会 St. Francis Xavier’sChurch。1849年にフランス人によって建てられた二つの塔を持つ教会
教会内部
サン・フランシスコ・ザビエルSt. Francis XavierとやじろうYajiroの像

マラッカ市街東部
 マラッカ市街東部に位置する「ポー・サン・テン寺院とスルタンの井戸」、「セント・ジョンの砦」「ポルトガル村」などを訪ねる。

ポー・サン・テン寺院とスルタンの井戸
 1795年に建てられたポー・サン・テン寺院 Poh San Teng Temple。1409年と1411年の明王朝皇帝からの使節派遣を記念して造られた寺院である。この寺を多くの観光客が訪ねる目的は、『スルタンの井戸Sultan’s Well』を見るためである。「干ばつでも水が枯れなかったことからパワースポットとなっている」とのことである。でも、なかなか見つけられず、近くでペッポトルの水を売っていたおじさんとおばさんは、にこにこである。「ポー・サン・テン寺院とスルタンの井戸」を一対の言葉として覚えていて、寺院の門をくぐる度に迷ってしまうのである。門から入らずに広場側(右手)に進むと、塀に囲まれた中央に『スルタンの井戸』があります。この水は飲めません。ということは、「干ばつでも水が枯れないパワースポット」ではなく、「飲み水を必ず入手できるパワースポット」なのである。オランダ広場から徒歩15分くらいと、ちょうど水が欲しくなる距離ですよね。
 もう一つ。この井戸に背を向けて投げ込んだコインが輝きながら沈んでいくと、またマラッカを訪れることができるそうだ。

1409年と1411年の明王朝皇帝からの使節派遣を記念して1795年に建てられたポー・サン・テン寺院Poh San Teng Temple。この入口から入ってもスルタンの井戸には辿りつけない
「スルタンの井戸」。マラッカで一番古い井戸
スルタンの井戸
セント・ジョンの砦
セント・ジョンの砦から眺めたマラッカの町
同じく、砦から眺めたマラッカの町
ここまでセント・ジョンの砦

ポルトガル村
 かつてこの地を支配していたポルトガル人の子孫が「ポルトガル村Portuguese Settlement」と呼ばれて暮らしている地域(ポルトガル・スクエア)がある。その多くはポルトガル名を持つカトリック教徒だそうだ。私が訪ねた時期は季節外れなのか人の出入りが少なかったが、毎年6月下旬に行われる「サンペドロ祭」では、盛大なシーフード祭りが行われるそうである。

ポルトガル村の入口には、「ポルトガル村へようこそ」の大きな看板が建てられている
ポルトガル村の入口には、「ポルトガル村へようこそ」の大きな看板が建てられている
地元の漁民が漁に出かける磯船
貝を採るおばさん
採集した貝の身

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