ミャンマー・マンダレーヒル

マンダレーヒル
 今日は朝からマンダレーヒルを散歩する。標高236メートルのマンダレーヒルは丘(Hill)全体が寺院となっているマンダレー最大の聖地である。個人的にはビルマ(ミャンマー)に来たからには一度は訪れてみたい場所だったのである。
 インターネットなど無い時代、某協会誌にエッセィを書き、その一部を改めて本ブログの中で、“方向音痴の旅日記『タイトル:ミャンマー・インレー湖 イキな道路技術者(1980年6月に某協会誌に掲載された文章から抜粋)』”として数カ月前に上梓した。その中に登場する”第2次世界大戦で日本軍と戦ったビルマ軍(英国軍)“とは、実はこの地における戦いのことなのである。愉快なことではないが一度は訪れてみたい場所だったのである。
 マンダレーヒルの表参道入口を守る2頭の真っ白いライオン「チンテーヂーナッカウンChinte Gyi Nakaung」までピックアップをチャーターして向かう。チンテーヂーナッカウンChinte Gyi Nakaung は、第2次世界大戦中、日本軍占領下のビルマ北部に降下し、日本軍を苦しめた英国軍部隊チンディッツの名称はこのチンテーからとられたのである。「チンテーヂーナッカウンChinte Gyi Nakaung とは、「チンテー」がライオン、「ヂー」は大きい、「ナッカウン」はふたつのという意味である。

マンダレーヒル4つの登り口のうち最も一般的な南参道
チンテーヂーナッカウンChinte Gyi Nakaung
マンダレーヒル登り口にあるナッツ神の 1つチンテーヂーナッカウン。白いライオンに似ている
チェードーヤ・パヤーChedawya Paya。南参道を上ると最初の踊り場にある仏塔。仏足石(釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの)を祀っている
ピーロンチャンター・パヤーPyilone Chamtha Paya。4体の仏像が並んでいる休憩所。マンダレーが栄えるようにと願いを込められた仏像
ピーロンチャンター・パヤーの次の踊り場にあるサイッタモー・パヤーSeaitamau Paya。急な階段前の小休止の意味
ビャーデイペー・パヤーByadaikpay Paya。「予言を与え給う仏陀」像。旧王宮の方向を指さしている。金箔で覆いつくされた仏像はチーク材を彫ったもの。高さ8メートル
日本人慰霊碑Japanese War Memorial。日本のみならず、戦った敵方の戦没者も慰霊している
慰霊碑の裏側
数珠(じゅず)を作っている職人
サンダームキ・パヤーSan Dha Mukhi(鬼の仏塔)の像。お布施するものが何もないことに悩んだ末、自分の乳房を仏陀に献上したサンダームキ(鬼)に対して、仏陀はマンダレーの方向を指差し、「お前は来世では王になり、そこに街を造るであろう」と予言し、その通りになったという
頂上のスタウンピー・パヤーSutaungpyai Paya。サンダームキ・パヤーから階段を上ると、ついに頂上。周りは展望テラスになっていて、マンダレー市街、エーヤワディ川、旧王宮などを見渡すことができる
机に座っているのは占い師(有料)
階段を上って上から撮った仏塔
ムイヂーナッカウンMwe Gyi Nakaun。展望台を奥に進んで、下り階段の近くに2匹の大きなコブラの像がある。ムイは蛇、ヂーは大きい、ナッカウンは二つのという意味。コブラの像を見た瞬間はドキッとしたが、皆さんに人気があってカメラが忙しい
クドードォ・パヤーKuthodaw Paya。バガンのシュエズィーゴォン・パヤを模倣して建てられたものである。境内を埋めた729の小仏塔群が有名である
サンダムニ・パヤーSanda Muni Paya。ミンドン王がクドードォ・パヤー王宮を造営の間、西隣にあるこの仏塔に仮の王宮を置いていた。この境内にも1774の小仏塔が林立している
サンダムニ・パヤー境内にも1774の小仏塔が林立している。真っ白いこの仏塔の色を維持するために、ご夫婦と一緒に相当に荒っぽいペンキ塗りを1時間も頑張った
ペンキ塗りの道具
もっと繊細な刷毛を使っているかと思いきや、この箒の様な刷毛を使ってさっさと塗っていく
チャウットーヂー・パヤーKyauk Taw Gyee Paya。マンダレーヒルの麓にある本堂の石仏は、サジン山で採られた大理石の1枚岩から彫られたもので、素肌は金箔ではなく大理石がむき出しである。仏像は1865年にミンドン王(在位1853~1878年)によって開眼された
チャウトーヂー・パヤー(大理石の仏像)の正面から撮った写真
アトウマシー僧院Atumashi Kyaung。第2次世界大戦で破壊された後、1995年にコンクリートで再現された
アトウマシー僧院。「内部は特に見るべきものは無い」とガイドブックに書かれていた
どこの方々でしょう?何故かさっと整列して写真を撮れという。真ん中の女の子を除いて全員がこれだけ整然と並ぶのは結構難しいと思う。「せ~の」とでも言ったのだろうか?
チーク材で作られた木造建築のシュエナンドー僧院 Shwenandaw Kyaung。建物の屋根、外壁、内側や入口の周囲は彫刻で装飾されている。かつては、この建物は王宮の一角にあり、ここを気に入ったミンドン王はその第一夫人としばしば過ごし、また、ここで亡くなった
ガイドブックによると、ミンドン王を継いだティーボー王(在位1878~1885年)は建物を現在の場所に移動し、そこで一人の時間を過ごしたと言う。後に僧院として使われ、現在に至っている
再現された旧王宮
旧王宮と庭
旧王宮内部
王宮博物館
博物館に展示された馬車
ここまで王宮博物館
シュエチミン・パヤーSywe Kyimin Paya。パガン王朝時代に建てられたマンダレー最古の寺院。創建者ミンシンソーが奉納した仏像や英国が占領時代に持ち出していた宝物類など、胸がドキドキする歴史的文化財が所蔵されているそうだが、4月のティンジャン(水かけ祭り)と10月の満月の日の2回だけ公開されているそうだ。残念無念
最後にもう一度、シュエチミン・パヤー

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