インレー湖からマンダレーへ
旅行好きの方は、熱狂的な「市場好き(マーケット好き)」がいらっしゃることを御存知でしょう。インレー湖でも、この市場好きに出会った。インレー湖の市場は、毎日主要市場を時間割のように公開するほど徹底している。私が出会ったフランス人の青年は世界中の市場を廻り歩くほど市場に凝っていて、希望の場所に行くには船をチャーターすると安くなるので、私を誘ってきた。私の今後の旅のスケジュールからして、今日中にインレー湖を出て2日以内にニャウンシュエNyaungshweに入り、その後「マンダレー」に入る必要があったので、お断りしたのだが、彼の知識は膨大かつ正確で、結局、明日、ニャウンシュエの市場に行こうと言うことになった。気持ちの良い奴だったので、それに私自身もニャウンシュエの市場に行く予定だったので、笑顔で握手をした。
ニャウンシュエの市場
マーケット好きのフレンチ・ボーイのお勧めだけあった。ニャウンシュエの市場は質量ともに盛況であった。
強行軍
実は、今夜は夜行バスでマンダレーへ移動する強行軍で、その後マンダレー周辺、具体的にはアマラプラAmarapura、ザガインSagain、インワInwaなどをブラブラする予定である。冷えた飲み水はバスの中に備蓄されており、途中数時間置きにトイレットタイムもとられている。夜遅くまではTV番組が放送されていたが、言葉が分からないのと眠気でほとんど眠っていた。
マンダレー周辺の都市であるが、権力基盤が弱いため18~19世紀に渡って幾度か遷都が繰り返された。現在ではタウン・ミョー(=南の町)と別称されるアマラプラAmarapuraもその一つで、何度か遷都を繰り返す対象となったことから、パーリ語で「不死の町」と呼ばれている。
アマラプラへ向かう途中で面白かったのは、朝の9時半頃であるが、バスの中でお坊さんが托鉢を始めたことである。私の旅行中の常食であるキビダンゴを差し上げたところ。とても喜んでいた。お寺へ戻ってから食べてもらえそうだ。この時間ともなると皆さん、動き始めて、バスの中のビデオサービスが始まったり、停車の度にバスの中へ物売り入ってきたりと忙しくなった。
こんな楽しい所とは思わなかった
そうこうしているうちに、アマラプラに到着した。バスを降りてびっくり。こんな楽しい所とは思わなかった
もっと楽しい所がありました
全く知らない橋であった。市場から人の流れに何となくついて行っただけで、ウー・ベイン橋U-Bein Bridgeに出会ってしまった。ミャンマーのマンダレー付近の都市、南の町と別称されるアマラプラについては既に説明した。アマラプラにあるタウンタマン湖をまたぐ橋が今回の旅の主人公である。名前は、「ウー・ベイン橋U-Bein Bridge」である。変わった形状に見とれてスケッチをしていると、若者から「橋が好きですか」と流暢な英語で話しかけられた。あいまいな返事を返すと、「日本人ですか?私達は大学で土木を学んでいます」と笑顔で返された。以下は、学生諸君から教わった講義ノート?からいただいたデータである。
1849年当時、行政官ウー・ベインが以前の王都であったインワの旧王宮からアマラプラに遷都する際にチーク材を運びウー・ベイン橋(U Bein bridge)を架設した。全長1200メートルにのぼる世界一長い木造歩道橋である。完成から160年以上も経た現在も現役の橋として利用されている。
私のカメラの写真を見ると、午前の10時30分頃であったが、学生達の話だとここは夕陽の名所として知られ、「夕方の観光スポットは是非、見て下さい」と勧められた。「ありがとう」。
ザガインからバイクタクシーでザガインヒルへ
ザガインでバイクタクシーを200円くらいでチャーターしてザガインヒルへ行く。ザガインヒルには150以上の仏塔と600を超す僧院が点在。バガン王朝が滅亡した1315年に王都になったが、50年後にインワに遷都される