スリランカ・キャンディ

キャンデイ
 大まかに言って、スリランカの歴史はこの国へのインドの侵攻に影響を受ける。つまり、スリランカは北側から反映し、その文化の中心が次第に南側へと移動していく。したがって、私のブログの(文化の)主役も北から南へと移動してきた。それで、南側に位置するキャンディKandyは比較的遅い時期に歴史に登場することになる。15世紀に盆地の地の利を得て、国家防御に落ち着きを見せたが、16世紀初頭に始まるヨーロッパ列強の侵攻が始まる。1505年にポルトガルの植民地支配、そしてオランダ、イギリスへと覇権争いを重ねてた結果、ここキャンディも内紛を重ね、ついには1815年に300年以上続いて滅亡した。シンハラ王朝2000年の歴史の終焉である。一国の歴史である。細かい間違いはお目こぼし下さい。

ダンブッラからのインターシティ・バスで約2時間、キャンディのメィン・バスターミナルに着いた。早速、お助けマンに助けられて、近道の急な階段を上ると(この写真は上った地点)、ホテルは50メートル先にあった。「…歩き方」に載っていたこのホテルは便利すぎる
警察署にも歩いて数分
鉄道駅(右側)もすぐそば。写真が見えなかったので、「おっ、線路を歩いている」
時計塔まで見えるので時間を確認し
列車が無い場合は歩いて5分くらいでバスセンター
急ぐ時は交差点の地下道を通って近道できる
携帯を持っていないので目の前の地下道入口にあった公衆電話を使う。これでは迷いようがないはずなのだが
それでも迷う時は近くにあるモスクのミナレットを目当てに歩く
それでもわからなくなったらホワイトブッダに祈る。あーあ

 以上、ドキュメンタリー風に述べたが、まさにドキュメンタリー。すべて本当の話。追伸;実は書いていないことが一つだけあります。守衛に注意されて写真を撮ることができなかったのですが、すぐ近くに刑務所もあったのです。私には、そして当然皆様にも関係が無いと思い、書きませんでした。悪しからず?
 話を戻します。いつもはどなたかに道を聞くなどお話することが必ずあるのだが、今回は全ての施設などが狭いエリアに集約されているので一言も話さないで、移動できる。そのせいで目的のキャンディ湖に早く着くことができたが、逆に何か損をしている感じである。ケースバィケースであるが、私の旅のスタイルは、どうも見知らぬ人々との交流が無いと面白くないようだ。

キャンディ湖から寺院へ
 キャンディ湖は19世紀初めにキャンディ王朝の最後の王であったスリー・ウィクラマ・ラジャシンハが12年をかけて造った湖である。ガイドブックによると、湖に浮かぶ島は王室とトンネルでつながる王のハーレムであったという。着飾った愛妾を従えて、…、(それに対して)現代の我々はセーラー服とディパックとスニーカーで、モーターボートに乗って、…、あなたの好みはどちらですか?私の好みは、恥ずかしいのでヒミツ

キャンディ湖
森自体を剪定したように見える
部屋の窓から湖が眺められるクィーンズ・ホテル
モーターボート乗船場
マルワトウ・ヴィハーラ。ここから坂を上って行く
お坊さん達が談笑している
ここまでマルワトウ・ヴィハーラ
セントポール教会。意外に、この街には教会があったりする

キャンディアン・ダンス
 キャンディアン・ダンス(Kandyan dance)は、キャンディを中心に行われている踊り。 キャンディ王朝の頃に宮廷内で踊られていたものに、18世紀初頭に各地の舞踊が組み込まれたものである。牧歌的で非常に分かりやすく、悪魔払いやファイヤーダンスが組み込まれている。キャンディ芸術協会Kandyan Art Association(文化ホール)で催されるキャンディアン・ダンスショーの入場は、Rs.300と安く人気がある。

キャンディアン・ダンス
ファニーと言っていいのか、怖いのか
キャンディアン・ダンス
ここまでキャンディアン・ダンス

仏歯寺
 現在の仏歯寺を囲む堀と八画形の堂は、最後のキャンディ王スリー・ウィクラマ・ラジャシンハによって建てられた。寺院内に奉納されている仏歯は、紀元前543年にインドで仏陀を火葬した際に手に入れたものとされている。その後、4世紀にインドのオリッサ州カリンガの王子が頭髪に隠して、(セイロン=現スリランカ)のアヌラーダプラに奉納した。先に述べたように、この国は、北からの侵攻によって都が南下する運命をたどってきた歴史を持つ。そして、1590年を最後にキャンディで終止符を打った。キャンディ王ウィマラ・ダルマ・スリヤ1世の時代で、王は仏歯を祀る寺として2階建ての寺院を建てた。三世代後のナーランドラ・シンハ王が寺院を新築、これが現在、寺院内部に残っているものである。
 入場料Rs.500、カメラ持ち込み料Rs.150。仏歯寺の部屋が開かれる「プージャ」は、5時半、9時半、18時半。入場券売場の隣に無料のガイドツアー(MP3を利用)の受付がある。人気のお寺だけに、上記の時間ごとに30分前には入場して列に並ぶことが要求されるので要注意です。

仏歯寺
仏歯寺

ペーラーデニヤ植物園
 翌朝、キャンディー近郊の総面積5.6平方キロメートルのペーラーデニヤ植物園へ向かう。市内バスターミナルから、ペーラーデニヤ行きのバス(No.652、No.724)で所要10分、Rs.20でペーラーデニヤ植物園に着く。14世紀の王パラークラマバーフ3世が王妃のために造園し、1821年に植物園として開園されたものであることから「王立植物園Royal Botanic Garden」の名が付けられた。植物の種類は、4000種以上と言われている。

ペーラーデニヤ植物園(王立植物園)Royal Botanic Garden、Rs.1100
ポリエチレン包装袋の持込み禁止
映画の撮影ではありません。王立植物園で結婚記念撮影を行うのは若者の憧れだそうだ
お幸せに
最も大きい竹として知られるビルマのジャイアント・バンブー
人数制限のあった橋
橋梁の人数制限の看板(荷重制限)
違う角度から撮った橋
植物園内の案内図
植物園出入口

ピンナワラの象の孤児院
 キャンディ近郊に、親を無くしたり、はぐれた子象、あるいは失明したりした象を100頭余り保護している「像の孤児園Elephant’s orphanage」と呼ばれる施設がある。回復した像達は、寺院や象使いに引き取られるそうである。
 バスで行くのが安くて簡単である。キャンディのメイン・バスセンターからキャーガッラKegalle方面行きのバス(No.1、No.2、No.662)で約1時間、Rs.59→カランドゥパナ・ジャンクションKarandupana junction下車→ランブッカナRambukkana行き(No.681)バスに乗り換えで約15分、Rs.20→ピンナワラPinnawala の像の孤児園Elephant’ Orphanage下車。見学料金はRs.1000。

「象の孤児院」の入場券。入場する際に入場券の左側にマジックインクで自分でサインをする(この写真では記名部分をトリミングしてある)
ピンナワラ(Pinnawara)の象の孤児院
象のエサ
小象の水浴び。ポヤポヤの毛が可愛くて、大人気である
のどかな風景
こんなに近くで像の親子を見たことはありませんでした
これは観光客が象にあげるための観光客用の売り物です。人間が食べると鼻を巻き付けてきます

 ピナワラの象の孤児院からキャンディ市内のホテルに戻ってきました。あの超便利ホテルです。近くに市場もあるのです。

ホテル近くにこのような美しいインド寺院がありました
美味しい果物
これは旅行者には使えない
食べる前から興奮します
ここに並んでいる店は、買い物をするとクジをくれる。こういうのって大好き
当選番号の発表
マヨネーズなどが当たる。私はハズレだった。二つ当たった地元の人から名前の知らないフルーツを貰った。ありがとう

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