スリランカ・コロンボ

キャンディからコロンボ
 キャンディからコロンボへの移動は、列車、バスともに充実しているので、旅行者の好み、スケジュール、予算等々、選択肢が広い。私は、こういう場合にはすべてに優先して、列車を選ぶ。理由は勝手に決め込んでいる“旅情”である。あの孤独感は、そして相反するが人との出会いは、私の“旅をする重大要素”なのである。でも、圧倒的にバスを利用する人が多いみたいなので、参考までにバスの運行データの一部もご紹介します。私設バスターミナルからエアコン付き特急バスで約3時間半、Rs.105です。簡単すぎると言うことは、人気があるとお考え下さい。
 さて、朝6時前なのに、キャンディ駅はコロンボ行きのチケットを求める旅行客で賑やかである。未だうす暗いせいか、列車に乗り始めるとすぐに居眠りを始めるお客さんが多い。3時間弱の睡眠時間は、その後のコロンボのブラブラには貴重な時間なのかもしれない。

構内に掲示されている列車時刻表
これから出発するキャンディ駅ホーム。未だうす暗い 
文章だと、あっという間にコロンボ駅に到着。白い駅舎が美しい
ホテルにチェックインした後、コロンボ駅付近からブラブラを始める

何事か?
 突然、何かが爆発したような炸裂音が聞こえた。雷の音どころではない大音響である。一瞬、TV等の画像で見るテロか何かかと思った。でも、武装した軍や火器を持った人達がいなかったので、そうではないらしい。歩道橋の上でしゃがみこんでいた青年が、英語で「エレクション」と教えてくれた。「エルとアール」の発音は難しいが、この状況で卑猥なジョークを言う青年には見えない。一瞬、ピンとこなかったが、「選挙?」と返したところ、青年が頷きながら再度「エリクション(election)」と言ったので、やっと理解できた。それにしても経験したことのない爆音だ。時間の経過でやっと様子が分かってきた。選挙の応援に支援者が爆竹を鳴らしたのだ。私は、駅近くの歩道橋の上にいたのだが、爆竹の音と共に地面を伝わる振動が橋を揺るがしていたのである。私もその一人であるが、驚いた歩行者が橋の欄干にしがみついていたわけだ。朝一番に気合を入れられた。

歩道橋の上にいたので、支援者達が爆竹を鳴らす様子がリアルに見えた。道路に散乱する紙屑でやっと事情が呑み込めた
爆竹によって地面が揺れ、その振動で歩道橋が揺れた。このような大きな揺れと音は聞いたことがない
候補者と支援者たち
盛り上がっている

フォートとペター
 コロンボは、街の特徴を大まかにザクッと言うと「フォートFort」と「ペターPettah」に分けられる。前者は、先程着いたばかりであるが、コロンボ・フォート駅、つまりコロンボの玄関口であり、また、コロニアルな雰囲気が最も強く残る官庁街でもある。後者は、先程歩いてきた歩道橋を渡った辺りで、「HOTEL」があり、セントラル・バスターミナルや民営バスターミナルがあるエリアである。ここで、「HOTEL」とは、この国の呼び名で、「大衆食堂」を指すことが多いので、要注意。そして、ペターで忘れてはならないのが、“雑踏”、そう「The Shitamachi」である。市場巡りに取りつかれている方には嬉しい、スリランカ随一のバザールがある庶民の町である。但し、食べ過ぎないように。

オランダ時代博物館
 オランダ時代博物館Dutch period museumは当時の植民地政府の建物を博物館にしたもの。当時のこのペター地区は白人とスリランカ人の混血児である「バーガー」とイスラム商人の豪華な邸宅が並ぶ高級住宅地であった。ヨーロッパ風の建物らしく、手入れの行き届いた芝生の中庭がある2階建ての建物で、1階にはヨーロッパ人が訪れて香辛料貿易を始めた経緯についての資料を展示し、2階には使用されていた家具や古地図などが展示されている。

オランダ時代博物館 Dutch period museumは当時の植民地政府の建物を博物館にしたもの。当時のこのペター地区は高級住宅地であった
オランダ博物館のかわいらしい展示物
ジャミ・ウル・アルファー・モスク
1909年に建造されたジャミ・ウル・アルファー・モスク。コロンボで最も古いモスクである
ペター地区の中心にあって、赤と白の縞模様が際立つ
その名のようにフォートFort(要塞)だったフォート地区に建っている高さ29メートルの時計塔。建設された当初は灯台だったが、1952年に廃止された
税 関
仏教寺院
ワールド・トレード・センター
スリランカ最大手スーパーマーケット「カーギルスCargills」の本店。1階にはスーパーとケンタッキーがあった
コロンボ国立博物館。1877年、英国のセイロン総督ウィリアム・グレゴリー SirWilliam Gregoryによって造られたスリランカ最初の博物館
悪魔払いの仮面コレクション
青クジラの剥製
ここまでコロンボ国立博物館

朝は市場から
 今日はコロンボの一番人気とでも言おうか、多くの旅行者が訪ねる「キャラニア寺院」に出かける予定である。未だ朝早いし、時間があるので近くで声が飛び交う市場を覗くことにした。大きな入口に、「Fose Marketフォース市場」と書かれ、その下に「Federation of self-employees」とあった。正しい英語かどうかは横に置いといて、「自営業者連盟」とでも言うのであろうか、広い場所に個々人が店を出すやり方らしい。
 おもちゃ、宝飾品、衣類、果物、野菜等々、大繁盛の市場である。私は朝の果物を買ったが、随分とおまけしてくれた。

フォース市場 Fose Market
大繁盛の市場
果物屋さん

キャラニアの仏教寺院
 『キャラニア』と聞いても、仏教に興味のない方々にはピンと来ないかも知れない。しかし、仏教に関心のある方、歴史に興味を持つ方々に、ここにある『ラジャ・マハー・ヴィハーラRajamaha Viharayaとは』と聞けば、…。釈迦がこの地を訪れ、沐浴と説教を行ったとされるスリランカの3つの聖地のひとつなのである。紀元前3世紀頃には現在の白いダーガバ(仏塔)の原型となるものが建てられたと言われている。その後、幾多の度重なる争いの歴史の中で破壊と修復が繰り返され、何度か再建されてきた。
 コロンボのペター地区にある中央バスターミナルから224番、228番、235番のバスで約50分、Rs20で、コロンボの北東11キロメートルにあるキャラニアに着く。バスの運転手は気の良い奴で、バスターミナルのすぐ側にある仏教寺院『ラジャ・マハー・ヴィハーラ』(あるいは『キャラニア寺院』)に向かう門を教えてくれる。礼を言って、参拝者の流れについて行くと、キャラニ河に突き当たり、沐浴場が目の前にある。境内に入るのに沐浴は求められないが、遊歩道を通って階段を上がり門まで来たら裸足になる。偉そうに見えた人に「ルールか?」と尋ねたところ、「マナーです」と答えがあった。「ルール」と「マナー」を峻別し、それも上品な英語で話されては、…。久々に聞く「マナー」に深々と頭を下げた。

気の良いバスの運転手。キャラニア寺院 Kelaniya Templeへ出発
教えられたラジャ・マハー・ヴィハーラへの門。バスターミナルのそばであった
寺院が近くなると、供花やおもちゃなどの店が増え始める
キャラニ河のほとりにあるラジャ・マハー・ヴィハーラは、釈迦が説教したといわれる聖地である
ラジャ・マハー・ヴィハーラへ向かう参道
ラジャ・マハー・ヴィハーラへお詣りの節は裸足厳守で。習慣のない日本人には相当にきつい
ラジャ・マハー・ヴィハーラでは線香の煙が絶えない
参 拝
参 拝
寺には青空学級があって、子供達がお行儀よく勉強している
三色ボールペンが珍しいのか、子供達がねだってくるので、トラブルを避けるため先生にさしあげた
ラジャ・マハー・ヴィハーラ
白いダーカバ
ラジャ・マハー・ヴィハーラ内
赤ちゃんの健康を祈っているのだろうか
皆さん、素晴らしい笑顔でした
スリランカ美女4人。なんと美しい笑顔でしょう。時間よ、止まれ

ガンガーラーマ寺院
 ベイラ湖近くに建つガンガーラーマ寺院 Gangaramaya Templeは、18世紀に建てられたもので、コロンボで最大級の寺院のひとつである。スリランカをはじめ中国、タイ、ビルマなど各国、各地域の多数の仏像が祀られている。ある意味で、一種の仏像博物館といった感じであった。

ガンガーラーマ寺院
コロンボ市内で最大の寺院。2月のポヤ・デーには盛大なペラヘラ祭りが開催される
ガンガーラーマ寺院内部

ジェフリー・バワ
 スリランカ・コロンボ出身の建築家で、スリランカを代表する建築家。外と内の障壁を取り除き、光と影を上手くグラデーションさせたデザインに特徴がある。

シーマ・マラカヤ寺院 Seema Malakaya Templeは、ベイラ湖湖上に建っており、建物はスリランカを代表する建築家、ジェフリー・バワによって設計された。管理運営は先にお見せしたガンガーラーマ寺院が行っている
ベイラ湖に浮かぶシーマ・マラカヤ寺院
このようなものも
異なる角度から撮ったシーマ・マラカヤ寺院。どこへ行っても掃除をしている方々の姿が絶えない
ここまでシーマ・マラカヤ寺院
いきなり景色が変わります。寺院から海へ向かうと、遂にインド洋が目前にひらけた 
結構海水浴客が来るのだろう。子供向けの玩具が売られている
インド洋。思えば遠くへ来たもんだ

明日はスリランカの実質最終日
 明日はコロンボからインドのマドゥライへ飛ぶ予定なので、今日は、スリランカの実質最終日だ。こちらでしか手に入らない紅茶などを日本に送ったり、ブラブラする貴重な日だ。
 いきなり、赤色の建物である。赤い色と言えば郵便ポストであるが、ここでは赤い建物が郵便局であった。ここに来た理由は、買い込んだスリランカ紅茶を船便で日本に送ることである。船便(Surface mail)の送りは、通常、郵便局などで行うため、梱包から最後の切手まで、厄介なことが起きることがある。失礼ながら、国民性とか、民度を測る尺度にもなる。最近は航空便類が安くなったので、トラブルが少なくなったのですが。今回は、美男好きの美人スタッフが助けてくれてスムーズにいきました。

郵便局
郵便局の美人スタッフ。日本へ紅茶などを船便で送る時にとても助けてもらった
Siri Vajiraramaya
イシパタナラーマヤ寺院 Isipathanaramaya Maha Viharaya。1915年に人種暴動の扇動容疑で英国当局によって処刑された一人息子ヘンリー・ペディスを記念して、父親のデュエニュゲ・ディサン・ペディスが建てた。コロンボで最も古い仏教寺院の一つである

 

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