ミャンマー・バガン

ヤンゴンからバガンへ
 今日は好きな夜行寝台でヤンゴン中央駅からバガンへ移動である。チケットは既に取ってあるし、体調を整えるだけだ。亀に入れた水が無料で提供されるが、日本語でだれが書いたのか、「飲むのは控えた方が良い」そうだ。そのせいか、皆さん、前もって水を買い求めている。それよりも何よりも、安い椅子席の車両の前のホームは席を争う乗客でいっぱいである

ヤンゴン中央駅
ホームの隅に置いてあった亀に入れた飲み水
(安い)椅子席の車両の前のホームは乗客でいっぱいである
列車が発車する時だけではない。走行時の列車の揺れが半端じゃないし、線路横の立木の小枝が車両にぶつかって、慣れないうちは恐怖であった
寝台Sleeper下段 50USD。でも列車の好きな方ならお判りでしょうが、この揺れがゆりかごになって、アルコールの助けは必要なかった

バガンへ移動してゆっくりと
 熟睡したのか、車掌に起こされるまで眠ってしまった。ところで、写真はヤンゴン駅で知り合いになったオランダ人親子である。ヤンゴン中央駅のホーム近くでバガン行きの列車を待っていたところ、屋根の上にいた鳩がフンをして、お嬢さんの髪が汚れてしまった。駅員が御親切に、『申し訳ない』と言ってお嬢さんの頭を手ぬぐいで洗い始め、我々にも新しい手ぬぐいをくれた。それが縁で、バガンに着いた後、この乗合タクシーでパチリ。この後の宿も彼らが予約していたゲストハウス「ゴールデン・ミャンマー」に誘われ、ご一緒させていただいた。

ヤンゴン駅で知り合いになったオランダ人親子
宿泊した「ゴールデン・ミャンマー」ゲストハウス。私は滅多に宿泊所名を出さないが、バガンの他の町でも、ここのオーナーの奥さんと従妹の方が経営しているゲストハウスに宿泊した

バガンとポッパ山
 バガンに来た観光客が必ず訪れるポッパ山は、バガンの南東約50キロメートルと遠い。タクシーを雇うと約4万Kと高い。私の泊ったゲストハウスは旅行会社も兼ねていてこの辺りでは顔ききらしく、他のゲストハウスに泊まっていた若いドイツ人女性と半額をシェアできるようにセットしてくれた。相当な教養人で、ドイツ語が全くできない私に気を使ってくれて、例のストロングアクセントの英語でホッパ山のことを色々と教えてくれた。私も「…の歩き方」の受け売りで英語に訳してもっともらしく応対した。
 ホッパ山は、25万年前に活動を停止した標高1518メートルの死火山。タウン・カラッTaung Kalatと呼ばれる岩峰の標高は737メートル。ミャンマーの土着信仰であるナッ神信仰の聖地とされてきた。花が大好きなドイツ人女性は、「ポッパ」とはサンスクリット語に由来し、「花の溢れた」という意味だと教えてくれた。

朝早く、ゲストハウスの近くを散歩中に見た観光用馬車のエサ
観光用馬車。後ろ足を揃えて上品な立ち方である
日本で使われていた中古トラックを持ち込んでここで使っている
ポッパ山に行く途中で見た牛に引かせた碾臼(ひきうす)
碾臼の中のピーナッツ。絞りかすは動物のエサ
お嬢さんが集めていたピーナッツ油
バガンの南東約50キロメートルに位置するポッパ山の中腹にあるタウン・カラッTaung Kalat
タウン・カラッの岩峰はミャンマーの土着信仰であるナッ信仰の聖地である
山麓に建てられた別荘住宅
タウン・カラッへの参道の入口
ここまでの岩山の階段は 777段 
タウン・カラッから見たホッパ山
頂上にある祠。この中にナッツ神がある
タウン・カラッから見た、麓(ふもと)に建てられた別荘住宅
麓は門前町のようになっていて市場がある
市場では小学生の年頃の子供達が店番をしている。この国の将来を担う彼等・彼女等に必要なのは「教育だ」。ツァーメイトのドイツ人ご婦人と意見が一致したのだが、あれ(私達が2012年にミャンマーを訪ねて)から9年。困難な政治・社会環境にあるかつての子供達はどうしているだろう
豆腐もある
レストラン
ランチ。おかずが多いミャンマー料理。インドカレーほど香辛料は強くない

バガンに戻って
 ホッパ山に登った心地よい疲れとある種の神秘的な雰囲気を身にまとって、バガンに戻ってきた。それ故か、街中は市場に足が向いてしまう。やはり、心と体が浮き立つ。

バガンに戻って
米 屋

自転車を借りてバガンの遺跡巡り
 翌日、ゲストハウスのおじさんに勧められて、自転車を借りてバガンの遺跡巡りをすることにした。自転車は右側通行、あるいは左側通行のどちらかを聴いたが、不思議な顔をして「知らない」と答え、「それよりも、下着の取り換えと冷蔵庫に入っている大きなボトルの水を1本持っていけ」と教えられた。動き出してすぐに理解できた。汗びっしょりだった。下着を替え、教えられたとおりに自転車に括りつけた。気温と風のおかげで乾きが速かった。「よし、仕切り直しだ」。

最初にカメラに収めた景色は、子供達の托鉢の姿であった。数台の高級カメラを持った数人の大人と3人の子供の托鉢僧であった。交換レンズも数本持っている。アジアのあちこちで見る“某国”の撮影ツァーの一行である
子供達に小遣いをあげ、もっともらしい托鉢のジェシチャーとポーズを撮らせて撮影をするわけである
なにかちょっと、可愛そうな気がする
これとは別にミャンマーでは国民皆僧制度。7歳から11歳、20歳を過ぎてからの2回。4日から7日間。得度式と呼ばれ、日本の成人式みたいなもの
自転車を飛ばしていると遠くの景色も近く見える
軽油?ガソリン?をプラスチックボトルに入れて道路脇で売っている

ティーローミィンロー寺院
 次に目に入ったのが、「ティーローミィンロー寺院」であった。バガン王ナラパティスィードゥーが5人の王子の中から後継者を選ぶ時に、傘が倒れた方向に座っていた王子を選んだという。選ばれたのはパガン王朝第8代国王「ナンダウンミャー王」であった。ナンダウンミャー王は傘によって選ばれたので、王が建造した寺院は、「ティーローミィンローHtilominlo Temple(傘の寺)」と呼ばれているそうだ。1215年の建造物で、高さ46メートルの3層のうち2層の各層にはそれぞれ4体の仏像が収められている。
 注)2016年の地震で建物中央の塔が崩れたそうだが、その後の修復工事の様子は確認していない。

パガン王朝後期の大寺院のひとつ「ティーローミンロー寺院Htilominlo Temple」。1218年、パガン王朝第8代国王ナンダウンミャーNadaungmyarによって建立された
ティーローミィンロー寺院
以下、表情の異なる4体の仏像を御紹介する
ここまでティーローミィンロー寺院

タラバー門
 自転車なのでフットワークはいつもより軽い。いつもは、目に入った場所へ「なんだろう?」と好奇心を持って行くのだが、今度は門のある場所を探してそこから入ることになった。「タラバー門」である。この門は9世紀にピンビャー王がバガンの防御を固めるために構築した城壁の東の城門である。ニャウンウー方面からオールド・バガン方面に向かう時に通る門である。門の両側にはバガンの守護神である兄妹の精霊マハーギリ・ナッが祀られている。

中国雲南の南詔国(ビルマ人)に滅ぼされた先住民族のビュー族によって9世紀に作られた(町の東側の)タラバー門。門の東側にニャゥン・ウー村がある
両方の門の窪みの中にバガンの守護人である兄妹の精霊マハーギリ・ナッが祀られている

アーナンダ寺院
 アーナンダ寺院Ananda Templeは、バガン朝三代目の国王チャンスィッターKyanzitthaによって1090年に建てられた寺院である。アーナンダの名は、釈迦の一番弟子の名前から取ったと言われている。本堂は一辺63メートルの正方形で、4つの入口、中央にそびえる高さ50メートルの塔のバランスは、見事なバランスを保っている。
 私が最も美しさを感じるのは、本堂の中央に高さ9.5メートルの4体の仏像がそれぞれ四方を向いて収められている姿である。書籍によると、南と北の二体が創建当時のままで、残りの二体が火事で焼けてしまい、造りなおされたものだそうだ。

タラバー門の南側にあるバガンで最も美しいとされるアーナンダ寺院
角度を変えて撮ったアーナンダ寺院
寺院の本堂の中央に収められている高さ約9.5メートルの4体の仏像のうち東側を向いている拘那含牟尼 Konagamana
西側を向いている釈迦牟尼 Gotama
南側を向いている迦葉仏Kassapa
北川を向いている拘楼孫仏Kakusandha_thumb
釈迦牟尼の拡大写真
西側の入口にある仏足石(ぶっそくせき。釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの)

タビィニュ寺院
 ティーローミィンロー寺院からタビィニュ寺院Thatbyinnyu Templeへ移動する。パガン王朝のアラウンシードゥー王(1113~1163年)の統治下で建立された。高さ約61メートルの荘厳な姿は、オールド・バガンの城壁内に位置する寺院の中でも圧倒的な存在感を見せる。建物内には大きな黄金の仏様があるが、こちらの寺院を見学する際には、裸足になることが求められるので注意してください。タビィニュ寺院のタビィニュとは、全知者、すなわち仏陀を意味するそうだ。
 なお、タビィニュ寺院の隣にあるタビィニュ僧院には、日本人戦没者の慰霊碑が建てられていることを付記したい。

四角い形をしたタビィニュ寺院
12世紀に建てられたオールド・バガンで 1番高い(高さ61メートル)
黄金の仏像

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