ワラーナシー
インド独立後のこの都市の正式名称は「ヴァーラーナスィー(Varanasi)」である。町の北側をワルナー川(Varuna)、南側をアッスィー(Assi)に挟まれていることに由来(Varuna + assi)している。他方、日本の旅行案内書で表記される「ワラーナシー」の方が現地でも通じやすいことを考えて、ここではワラーナシーで通したい。また、日本では、ガンジス河(Ganges、英語名)と呼ばれている河も、こちらで使われているガンガー(Ganga)で通したい。
私は何度かワラーナシーを訪問しているが、どこの旅先でも最初の訪問で感じた印象が心に残るであろう。私の最初の訪問は2008年12月だったので、その時のメモを参考に印象を記したい。新しく訪問した地域については、後日ご紹介したい。
デリーからワラーナシー市のババトプル空港へ飛んだのはいいが、ここから市内まではシャトルバスが無く財布を抑えて迷っていると、こういう時に必ず現れるお助けマンというか調整役がここでも現れた。迷っている旅行者を数人集めてタクシーと交渉してくれた。このお助けマンは徹底していて、空港の出口から1キロメートルくらいの所までタクシーで行き、そこからローカルバスで市内へ向かった。途中、旅の色々な情報は集まるし、安くはなるし、言葉の勉強にもなる。迷っていた旅人3人は相談して、お助けマンの料金分をシェアして気持ちよく支払った。「ありがとう」。
話には聞いていたのだが、この町には日本人旅行者が多い。私が泊ったホテルで隣の部屋に住んでいた?40代の男性にご登場願おう。彼は会社を数年前に辞めワラーナシーの隣町である「サールナート」に1年間滞在し(彼は修業とは言わなかった)、その後ワラーナシーに来て1年経ったそうだ。一食30円のカレーもどきで命を繋いでいるそうだが、彼がガンガーに向かって祈る写真が掲載されている地元紙を私に見せて、「いつも作務衣を着ているので坊さんと間違われて困っているよ」と話をしていた。4日間滞在したワラーナシーで色々と助けてもらった。
ガート
日本のTV番組などでインドのガンガーが写し出されると必ず出てくるのが、ガート(Ghat)と呼ばれる川沿いに作られた階段状の堤であろう。沐浴やヒンドゥー教徒の火葬場になっているスペースであり、ここを訪れる巡礼者の聖地である。ガイドブックによると、ワラーナシーには84のガートがあり、それぞれに名前が付けられている。有名なものとして、北からワルナーサンガム、パンチガンガー、マニカルニカー、ダシャーシュワメード、アッスィーがある。これらのガートに続く道端には、バクシーシと呼ばれる喜捨を求める人々が多い。私が「バクシーシ」を知ったのは、1996年にモロッコを訪れた時であるが、「裕福な者は、貧しいものに施しなさい」という、イスラムの教えだそうだが、一部に「貧しいものが、お金持ちから金品をもらうのは当たり前」という考えを強調する人達もいるそうだ。
もっとも人気のあるガートは、ダシャーシュワメード・カートである。解説書によると、ダシャは10、アシュワメードは古代インドで王位継承時などに行われた特別な儀式のことだそうだ。神話や伝承の域を出ないが、創造神ブラフマーがここでその儀式を行ったとか、紀元2世紀頃の王族達が行った、という話が伝わっている。
沐浴に挑戦したが
さて、3000年以上の歴史を持つヒンドゥー教の聖地、シヴァ神の聖都であるワラーナシーを語るには、ガンガーの沐浴について語らなければなるまい。現地の人々?あるいは旅行者らしき人々が下着1枚あるいは衣服を付けたままガンガーで沐浴をしている。私もズボンのすそをあげて試みたが、水の色や浮遊物を見てさすがに尻込みしてしまった。科学的な根拠ではなく、いわゆる見た目できれいとはとても言い難く…。口に含んでうがいをすれと言われると、「勘弁してほしい」。何となく、足がかゆくなってきた。
何かの本にジョークのように書いてあったが、「コレラ菌もガンガーの細菌には勝てず、したがってガンガーの水は科学的には意外ときれいなのだ」…そうだ?何となく説得力があるように聞こえるが、責任は持てない。この種の論理展開、よく使う方がいらっしゃいますよね。気を付けてくださいね。
火葬場
マニカルニカー・ガートとハリシュチャンドラ・ガートには火葬場がある。私はお世話になっている作務衣坊さんに連れられて前者を見たのだが、ここに運ばれてきた死者の耳に「ターラカ・マントラ(救済の真言)」をシヴァ神が囁くことによって死者は解脱できるそうである。ガンガーに浸された死者は薪の上に載せられ、喪主が火を付け、遺灰はドーム・カーストの人達によってガンガーに流される仕組みである。「ドーム」とは、火葬をする人のことを言う。ドーム・カースト以外の人々は手出しをしてはいけないし、また写真を撮ることなど絶対に禁止である。カメラを持っているだけで厳しく問いただされるので、ディバックなどに厳重に保管されることをお勧めします。
作務衣坊さんの話だと、子供と出家遊行者は荼毘に付されずに石の重しを付けられて河の奥深くに沈められるそうである。前者はまだ十分に人生経験をしていない、後者は既に人生を超越していることが、その理由だそうである。
帰りに近くのおもちゃ屋で直径3センチメートルほどの封印した鉄板製の容器を買い求めた。この容器の中にはガンガーの水が入れられており、「お墓に備えると良い」ということで100円だったが、買い求めた。しかし、帰国した頃には中の水は蒸発してしまっていた。それよりも何よりも、ヒンドゥー教徒は墓を持たないそうだ。「やられた」。(皮肉ではなく)さすがはインド人、100円でこんなにも遊ばせてくれたし、この原稿200字分を稼がせてくれた。
プージャー
プージャー(礼拝)は、ガンガーに向けて毎晩日没後に行われるガンガーの一日の終わりの儀式である。礼拝僧が河に花を浮かべ燭台に無数の蝋燭を掲げて祈る。ドラ、太鼓が鳴り響く中で祈祷の儀式が行われるド迫力の宗教行事である。ガンガーで始まり、ガンガーで終わるヒンドゥー聖地の一日の締めくくりで、すごい人ごみと熱気の、誤解を恐れずに言えば、一種のショーと言うか、エンターティンメントと言っても良いであろう。
サールナート
ワラーナシーの北東約10キロメートルのサールナートへはオートリクシャーで片道40分くらい、往復を予約できる。相当以前から『仏教における重要な仏跡』を訪ねたいと思っていたので、「ついに…」である。ここで『重要な仏跡』とは、仏陀生誕の地(ネパールの)「ルンビニ」、成道の地「ブッダガヤ」、初転法輪の地「サールナート」、涅槃の地「クシナガル」、ブッダ教団の地「ラジギール」、仏典結集が行なわれた「ヴァイシャリ」、仏教大学が栄えた「ナーランダ」などである。今回は「サールナート」を訪ねる。
仏陀は、当初は自らの悟りを他の人々に説法することは考えていなかったと言われる。ブッダ・ガヤで悟りを開いた仏陀は、その気持ちを翻意して伝道の旅に出た先はバラモン教修行者の聖地、サールナートであり、ここの鹿が多く住む林の中で昔のバラモン教修行中の5人の仲間と再会、彼らに説法をしたのが始まりである。初転法輪の故地と言われる所以である。彼らはこの説法によって、仏陀の教えに帰依することとなり、ここに仏(悟った人・仏陀)、法(仏陀の教え)、僧(仏陀の教えに救われ、実践する仲間)という『三宝』が初めて揃い、仏教教団が成立することとなった。現在はインド政府の管理の元に遺跡公園になっている。その周辺からは「サールナート仏」と呼ばれる仏像が多数出土し、最高傑作とも評される「初転法輪像」がサールナート考古博物館(英語版)に収蔵されている。残念ながら、ここは撮影禁止であり、したがって、皆さんにお見せできない。