ベトナム・フエ

列車に乗ってみたくて
 ベトナムの列車に乗ってみたくて、そして「列車の究極は夜行寝台列車」ということで、ホーチミンからフエへの移動は夜行寝台列車を利用することにした。ベッド、給湯・洗面所などの施設、係員の応対など、まあまあである。

ホーチミンからフエへ向かう夜行寝台列車のベッド
寝台車両の内部通路
冷水、熱湯も用意されている
駅名は分からないが、列車が停車したので寝られないままにホームに下りて外の空気を吸う

 フエ駅に到着。ホテルは予約してあるので近くに行くバスに乗ろうと出口に向かうと、マイクロバス、小さな三輪トラック、オートバイなどが待ちかまえていて、客を勧誘するおじさん、おばさんが争うように寄ってくる。私のホテルは迎え付きの予約ではなかったのだが、「…ホテル、日本人」と声が聞こえる。彼は新しい別の客を探しに来ていたのだが、私はラッキーだったのだ。新しいゲストになったフランス人のアヴェックと一緒に無料バスでホテルに直行してもらった。そして驚いた、日本人の若者が5人ほど泊まっていたのだ。ここのオーナーの奥さんが日本人であることが理由で、日本人が良く泊まるミニホテルだったのだ。さらに、ラッキーが続いた。彼らは昨日利用したらしいが、このミニホテルでは「フォンニャ洞窟巡り」を主宰していたのだった。

フォンニャ洞窟とは
 フエから北西へ約210キロメートル行くと、フォンニャ・ドン(Phong Nha Dong)がある。約2億5000万年前に形成されたと考えられているカルスト地帯を擁する鍾乳洞で、「風の牙の洞窟」と呼ばれている。ベトナム最大の洞窟で、2003年にユネスコによってベトナムで5番目となる世界遺産に登録された。ここには大小約300の鍾乳洞があるが、フォンニャ・ドンとティエンソン・ドン(Tien Son Dong)の二つが一般公開されている。
 昨日、宿泊したホテルのスタッフにフォンニャ洞窟への行き方を聞いたところ、「あなたは非常にラッキーだ」と言われた。既にホテル側でセットした明日の「ホテル~洞窟間のミニバス・サービス」に一人分の空きがあると言う。「朝、ミニバスでホテルを出発して、フォンニャ観光センター 前に到着する。洞窟の観光後に観光センター 前からホテルに戻る」サービスである。観光センターは、フォンニャ洞窟への船乗り場の近くにあるそうだ。方向音痴の私にとっては、分かりやすいプランである。

腹もふくれた
 フォンニャ洞窟への期待感からか、朝、早めに目が覚めたのでホテルの周りをブラブラしていたところ、路上食堂が開いていた。これ幸いと、ホーチミンで味を覚えたフォーをお願いした。「美味い、本当に美味い」。後で知ったことだが、ホテルの近くにある「フォー」で有名な食堂が朝食のみを路上の屋台でサービスをしている路上食堂だったのだ。確かに観光ガイドブックにも載っていた有名な食堂であった。「腹もふくれた、ごちそうさま」。
 ミニバスの出発時間までもう少し時間がある。ミニバスによる長距離の移動なので、足の運動を兼ねて近くを散歩していたところ、びっくりした。「京都大学の出先の研究所」がフエにあったのだ。お話をお聞きしたいが、この時間である。「頑張れ、京大」。今日は、何か良いことがありそうだ。何も根拠がないが。

朝食中
京都大学地球環境学大学院
入口の壁にはめられていた京大大学院のプレート

フォンニャ洞窟観光
 ホテルでアレンジした「フォンニャ洞窟日帰りツァー」は、フエから北西へ約210キロメートルと結構大変だ。幸か不幸か、ホーチミン市からフエまで夜行列車で移動したので、ちょっと睡眠不足だ。仮眠を取るのに丁度良い。バスの中では、現地語、英語、フランス語が行きかっていた。
 フエからフォンニャ観光センターにミニバスで約4時間で到着した。手足を伸ばして柔軟体操をしてから、近くにある船乗り場からエンジン付きボートで約30分で洞窟の入り口に着く。ここからはエンジンを止めて若者の手漕ぎとなり、ボートを操って絶景を楽しむという算段である。説明員のフランス語っぽい、鼻にかかった英語は、皆さん、大丈夫なようだ。職業に偏見は全くないつもりだが、手漕ぎボートの若者が名詞の羅列ではあったが、それなりの英語を話すのには驚いた。日本人は私一人だったが、たまに「わっかりますか?」とアドリブが入ってくるのには、さらにびっくりした。要するに、日本人観光客も多いということで慣れているのだ。「わっかりますか?」を何度か聞いてすっかり慣れてしまった乗客の皆さんは、私に向かって「わっかりますか?」を連発していた。
 船を降りた後、徒歩で洞窟内を散策する。フォンニャとは「風の牙」という意味のようで、牙のような鍾乳洞(風の牙の洞窟)が無数にある。約2億5千万年前に形成されたと考えられている。洞窟の中は静かで、涼しく、当然のことながら人工的とはいえ、ライトアップされた鍾乳洞は神秘的な感じがする。観光客のカメラのフラッシュの光が続く。この地底湖を探検するような雰囲気を持つフォンニャ洞窟は、2003年にユネスコの世界遺産に登録された。
 帰りの4時間、さすがに皆さんはぐっすり。同乗者は、ほとんどが同じホテルの宿泊客だったのだが、「一杯、飲ろう」と言う人はいなかった。

途中の田園風景。良い風景だね。

 

フォンニャ洞窟からフエへの帰路で見た風景
こんなのもいた
フエにやっと戻ってきた

古都フエの市内観光
 今更であるが、フエについてご紹介したい。ここはベトナム最後の王朝、阮朝(グエンちょう、1802 年~1945年)が約150年間都をおいた古都である。それ故に、フォーン川のほとりに、王宮、寺院、皇帝廟などの歴史を感じさせる風格ある建物が観光客の目を引く。1993年、ベトナムで最初の世界遺産に登録された。
 フエは、いわゆる “旧市街”と“新市街”に分かれていて、したがって地域の特徴がはっきりしていることから、とても観光しやすい街である。旧市街は、平屋の建物しかなく部分的ではあるが苔に覆われた石造りの城壁に囲まれた、いわゆる“由緒”を感じさせるエリアである。したがって、王宮周辺を中心とした歴史的遺産を求める観光客が多く出かける場所である。
 他方、新市街はドンバ市場などで生活雑貨を求める人々でごった返し、フエ駅、郵便局、飲食店、等々の生活の場である。これはこれで、観光的にも楽しさを感じる方々も多いことでしょう。私の場合は、先ずは旧市街から出かけます。

阮朝王宮
 王宮門(入宮門)をくぐって王宮内に入ると、4つの川が堀のように周りを取り囲んでいる。その内側にさらに人工的な内堀が構築されている。
 その王宮門であるが、阮朝の第2代皇帝ミンマン帝(1791年~1841年)期の創建、カイディン帝期に再建されている。高さが約17メートル、二層式の中国風の建物で、王宮に入れるのはこの門からのみでチケット売り場がある。3つの門口のうち中央の門は皇帝が外出する時しか使用されず、普段は閉じていたそうである。
 王宮門(Ngo Mon、漢字で書くと午門)の「午」は南の意味でもあり、「聖人君子が南から天下に耳を傾ければ世の中は平和になる」とか、「正午に太陽が建物の真上に来るため」だと言われている。

王宮正門
「午門」部分のアップ
阮朝王宮
阮朝王宮
皇帝との謁見所であった大和殿。中国の紫禁城を真似て造られた
長安門。1886年頃から皇太后の住居であった長生宮の正門

フエ郊外
 1601年に創建されたティエンムー寺は、「幸福と天の恵み」を意味するトウニャン塔(慈悲撘)と呼ばれる塔を持つ。高さ21.24メートル、七層八角形の堂々とした姿である。

フエのシンボル的な塔であるティエンムー寺(天女の寺)のトゥニャン撘(慈悲の塔)
石畳を敷かれた正門内側の広場
第1番目の建物である。ミンマン帝の功績を讃える石碑がある
ミンマン帝の功績を讃える石碑
石碑のある建物の背後から見える第2番目の建物、顕徳門
顕徳門をくぐり抜けると第3番目の建物、崇恩殿が見える
崇恩殿には皇帝と皇后の位牌が安置されている
さらに進むと3本の橋が架かっていて、第4番目の建物につながる
第4番目の建物、明楼
中にはテーブル一つ以外に何も無い
明楼から墳墓が見える
3連門を通って、三日月型の池を渡ると墳墓に辿り着く

 

門の柱は豪華に彫刻されている
最終の墳墓

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です