ベトナム・ホーチミン

今回は音楽から
 “沸騰するアジア”の一角を担う「ベトナム」を旅することにした。「した」と言うからには自分の意思である。但し、その根拠は希薄で、世界地図を目の前にして公私にかかわらずに出かけた所を塗りつぶしていくと、アジアに空白が目立ったのだ。「ベトナムは?」。「何となく」だった。これぐらいで良いですか?
 私の、というか、私達の世代で「ベトナム」と言えば、最初に頭に浮かんでくるのは、「ベトナム戦争」である。長期にわたるベトナム戦争そのものは、「サイゴン」が陥落した1975年(昭和50年)に正式に終結したわけですが、その頃は大学の至る所に“看板”が立っていたことを思い出します。
 次に「ベトナム」で思い出すのは、一気に飛んで、「ミス・サイゴン」である。「ベトナム戦争」を題材としたミュージカル「ミス・サイゴン(MISS SAIGON)」である。ヨーロッパへ出かけると、時間の許す限り夜はクラシックとオペラ with wine 、そして向こうの友人達と一緒の時は芝居なのだが、1993年10月に出かけた時は、同行した娘二人の希望もあって、「ミュージカル」をその中に入れた。ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでフィルハーモニア・オーケストラを聞いた翌日、ウエストエンドで「ミス・サイゴン(MISS SAIGON)」に魅せられた。以来、ニューヨークで、ウィーンで、…と、ミュージカルをさまようようになった。
 ただし、この時の旅では、「ミス・サイゴン」を観た(聴いた)後は、仕事でパリに渡り、「国際会議」の主宰で贅沢にも「PRIVATE ORGAN CONCERT IN NOTRE-DAMノートルダム寺院におけるオルガンコンサート」、そしてサルプレイエル(Salle Pleyel)でパリ管弦楽団等々、クラシックが続いた。サルプレイエルは、凱旋門から歩いて10分位。1829年のオープン以来、ショパンやラベルなどに愛された由緒あるコンサートホールで、“パリ管”の根城である。
 “最近の傾向?”を見ても、「ミュージカル」と言っても、ニューヨークよりウィーンが多い。やはり、“本籍クラシック”なのだろうか?どうでも良いことだが、妙に引きずる。

音楽が続く
 今回のベトナムの旅は、私の大学時代の同期(以後、“ご学友”)がハノイに住んでいるので、いつもの完全一人旅とはちょっと違って、何かと便利である。詳しくは語れないが、彼は、学生時代からドラムスを叩いていた男で、私がクラシックやオペラの傍ら?凝っていた「マックス・ローチ」、「チャーリー・パーカー」、「MJQ」などのLPを私のマランツ、アルテック、…のオーディオ・システムで聴いて語り合った頃が懐かしい。お笑いください、半世紀前である。
 その“ご学友”のアドバィスである。「ホーチミンシティ(サイゴン)のベンタイン市場はどこに行くにも便利な場所で、近くに日本人がオーナーの経済的ホテルがある。そこを予約しておく」。「空港からもバス1本で行ける」。久々の学生気分で、今で言うバックパッカーと称せられる若者達が好んで使う「市場」、「経済的」、「バス」と強調する辺りがおかしかった。助言通りに、タンソンニャット国際空港のターミナルを出て最初の車道を渡ると右端にバスが並んでいる。ベンタイン市場行きの152番のバスは、乗車後直ぐに発車した。
 大まかな旅行日程としては、「ホーチミンシティ」、「メコンデルタ」、「フエ」、そして「ハノイ」に行って“ご学友”と“会い” & “語り”、その後カンボジアの「シェムリアップ」に飛んで、お分りですね、世界遺産(文化遺産)の『アンコール・ワット(英語: Angkor Wat)』の遺跡見学である。

クチトンネル(ベンディントンネル)
 今日は、実質的にハノイ初日。昨日、ホテルを通して予約しておいた「クチトンネル・ツァー」への参加である。“ご学友”の助言は、「ベトナムでは交通インフラが発展途上なので、郊外へ出かける場合は旅行会社が主催するツァーに参加するのが合理的かつ経済的である」と言うことだった。とくに私のようなブラブラが好きな旅行者には、色々な国から人々が訪れて合流する英語ツァーが勧められると言う。“ご学友”の助言に素直に従って、「クチトンネル・ツァー(英語版)」に参加した。“ツァー・メイト”には敗戦国のアメリカ人も多いので、クチトンネルへの彼ら彼女らの反応も興味がある。アメリカに敵意を持っているわけではない。念のため、自分で言うのもおかしいかも知れないが、私は性格は良いほうだと、自分では思っている。それよりも何よりも、とくに若い人達にとっては、「ベトナム戦争」は今では歴史なのである。
 その「クチトンネル」である。南ベトナム 政府軍、アメリカ軍、韓国軍 などと戦ったベトナム戦争で勝利した「南ベトナム解放民族戦線」(俗称、ベトコンVietcong)が人力で建設したトンネルである。ホーチミン市の中心から北西に約70キロメートルのクチからさらに約30キロメートル離れた場所にクチの地下トンネルがある。このエリアは鉄の三角地帯と呼ばれ、難攻不落と言われた解放戦線の拠点があって、アメリカ軍はついに枯葉剤を投下するに至った。これに対して解放民族戦線は、総距離25キロメートルものアリの巣のようなトンネルを手掘りで掘り、ゲリラ戦を展開した。結果として、報道、映画、ミュージカル、TVドラマ、多種多様な出版物等々でご存知のように、南ベトナム解放民族戦線は勝者となったのである。
 この地下トンネルは現存していて、「ベンユオックエリア」と「ベンディンエリア」があるが、ツァーで訪れるのは主に後者である。

地下トンネルの見学の前に
 英語版トンネル見学のツァー・メイトは、当然のことだが外国人が多かった。迎えのバスの中では、欧米人の英語が飛び交い、中国語やハングルも聞こえてくるが、日本人は私一人のようだ。参加者は目的が同じせいか、すぐ仲良しになり、共通語の英語で会話が弾む。
 バスが出発して1時間も経ったろうか、 “HH(HANDICAPPED HANDICRAFTS)”と書かれた大きな看板が目立つ建物の前でバスが止まった。住所は分からない。この種の言葉は用心して使わなければならなく、handicapped とdisabled の違いなど、とても難しい。ここでは、読者の語学力に頼って、冠詞が付いていないが、“HANDICAPPEDな人々の HANDICRAFT”とでもしておきましょう。絵画や工芸品などの制作者が一心不乱に作業をしていた。個人的には螺鈿が好きなので、職工の技に見とれながら楽しい時間を過ごしていたが、ツァー・メイトがウィンクしながら「ショッピングタイムズ・オゥヴァー」と教えてくれたので、制作者に「ありがとう」とお礼を言ったところ、「こんにちは」と言われた。日本人が多く訪ねてくるのであろう。この種の“工芸センター”、“土産物屋” のことを「ツァー会社やガイドの収入源」などと言う人が多いが、ツァー主催会社、土産物屋さんが潤うことも確かであろうが、「買う、買わない」は本人次第であって、観光客は自分流に楽しめば良いのである。私の旅のスタイルからして日本発のツァーに参加することは無いが、現地発のツァーに参加した場合は、そう割り切っている。
 日本の伝統の和服がベトナムで作られていることはよく知られているが、もちろん品質は横に置いといてだが、総じて器用な人々である。

HH(HANDICAPPED HANDICRAFT)”の入口
見事な腕である
螺鈿材料の制作
螺鈿作品
ここはパリか、それともマドリッド?

ベンディン地下トンネルエリアの見学
 “HH”からツァーバスで約40分で「ベンディン地下トンネル」に着いた。最初に、パンフレットが配られ、次に約20分間のVTRが上映される。解放民族戦線の戦いの様子を記録したものである。その後は大まかな案内がある程度で、友達同士やバスでなんとなく一緒になったグループが、思い思いに歩いて見て回る。
 地上から3メートル、6メートル、8メートルの三層構造になっている所もあり、司令塔室、会議室。病院、学校、台所、寝室などがあって、軍事用の機能を持つトンネルであると同時に、住民達は地下トンネルトンネル内で生活できるようになっていたのである。
 空気の入れ替え用の空洞が付いているが、基本的には地下トンネルなのでムッとする臭気と湿気が漂っている。トンネルの通路部は狭く四つん這いにならないと先に進めない場所が多かったが、広くなっている所もあった。これは観光客用に広げられているそうだ。
 さて、方向音痴の私である。二叉、三叉に分かれた、まさに迷路を腰をかがめて歩くのは相当に厳しい。同じ所を何度も行き来して地上に出られない。見かねたメイトに助けられてやっと地上に出ることができた。「ホッと一安心」、…、「じゃ、なかった」。「落ちたっ」、「ワナだっ」。「わぁー、ブービートラップ(booby trap)だ」。
 説明します。「ブービートラップ」とは、(色々な意味があるが、)ゲリラ組織が一見無害に見えるものに仕掛けたワナ(トラップ:trap)のことである。油断した兵士(まぬけ:booby)が触れると爆発したり、スパイク状のもので殺傷する猟師のワナのようなものを「ブービートラップ」と言うのである。まぬけな私が地上に出られてホッとした時に、あらかじめ仕掛けられた布と枯れ葉で隠した落し穴に足を取られたわけである。本物のワナは穴の中にスパイクや毒が塗られた針などが仕掛けられているが、私のかかったそれは偽物だったので事無きを得たのだが…。ここには、当時使われていたと思われるワナが展示されており、その仕掛けの怖さに思わず身震いしたものである。参考までに、展示されていたワナは、window trap, fish trap, saw trap, clipping armpit trap, rolling trap等々と書かれていたが、個別のことはよく分からない。

射撃体験
 ベトナム戦争当時に使われていた本物の銃が展示されている(写真参照)。この銃を使って射撃体験ができることから人気の催しもの?である。但し、初めて銃に触る人が大半なだけに、写真の左側に写っている小型の銃、AR15とAK47自動小銃のみが体験できる。料金は「弾丸一発6万ドン」と掲示されていたと思う。多くの観光客が銃を撃ちまくっていたが、当然のことながら初心者が多くて近寄るのが怖かったので私は遠慮した。皆さんの打ち方じゃ、あれじゃぁね。まぁ、いいか。いずれにしても、撮影禁止だったので、残念ながらお見せできない。
 実は、私は猟銃を保有していた時期があった。「あった」と言うからには、ある理由で止めたのである。1979年( 昭和 54年)1月26日に、有名な「三菱銀行人質事件」が起きた。三菱銀行北畠支店に猟銃 を持った男が押し入って、客と行員30人?を 人質 にした 銀行強盗および 人質事件である。また、この頃、今で言う「非社会的勢力」の抗争が頻発する物騒な時代でもあった。銃の保有に対しても当然のことであるが、規制が厳しくなり、例えば、銃の保管に使っている鉄製のロッカーの周囲をさらに鍵付きの鉄棒で囲むなどの処置が要求された。さらに私はこの年から家族で渡英することになり、銃の保存は実質的には不可能になったわけである。

クチトンネルのチケット売場
トンネル見学前のビデオ鑑賞
クチトンネルの断面図
落とし穴だと分かりますか? カモフラージュされています
落とし穴のトラップはこの写真のようになっています。落ちたら体にスパイクが刺さるようになっている。怖い
トンネル坑内と外界との空気流通穴
トンネル内の抜け道
解放戦線の兵士のマネキン
1970年に地雷で爆破された米軍戦車

 

仕掛け(罠)について説明する係員
Window trap
Clipping armpit trap

Rolling trap
電気仕掛けで動くマネキンが爆弾を解体している様子。当時のベトコンは、敵が落とした爆弾などを回収して活用していた
実戦で使用された銃。左側のAK47自動小銃は射撃体験用として現在使われている
ゴムタイアの端材。スリッパの材料などに再利用される
スリッパが結構売れていた。サイズごとに価格が決まっていてMサイズで45,000ドンであった。自分たちの足跡をわからないようにするために、前後を逆にして履いていたと聞かされた
狭い通路。突き当たりには、さらに下の層への入り口がある
他意は無い、偶然です
米軍のB52 爆撃機の爆撃によって出来たクレィター跡

サイゴンリバー・ディナークルーズ
 ホーチミン市の幹線通りと言えば、ドンコイ通りである。市民劇場からサイゴン川に向かって東西に走る道で、都会っぽい雰囲気が受けるのか、日本人に人気のあるホーチミン観光の中心と言っても良いであろう。ドンコイ通りの一本南側にグエンフエ通りがある。この通りがサイゴン川に突き当たる辺りから、「サイゴンリバー・ディナークルーズ」のクルーズ船が出る。この辺りには我が国の総領事館やベンタイン・バスターミナルなどがある。
 クルーズの乗船料そのものは、1USドルと安いが、料理は前もって選んでおくシステムで1品3万~15万ドンとバラエティに富む。20時30分に出船して約1時間のクルーズを楽しむことになる。私が予約した部屋は個室だったので、ウエィトレスと言うか、古典的に言うと「酌婦が必要かどうか」と聞かれたが、「必要無い」と答えると、私をホテルからここまでオートバイで送ってきた旅行会社の女性社長が相手をしてくれた。

ディナークルーズ船
ディナー団体客
クルーズ船からの夜景
船から陸側を写す

ホーチミン市内観光

1428年に明の支配からベトナムを解放した黎利王の下で活躍した将軍チャン・グエンハイ像
1908年のフランス統治時代に建てられたホーチミン人民委員会庁舎。パリの市庁舎をベースに建てられている
ホーチミン氏の像
1880年に建てられたサイゴン大教会(聖母マリア教会)。赤レンガはマルセイユから、ステンドグラスはシャルトルから取り寄せられた
十字架がかかっている白っぽい部分は1895年に増築された
サイゴン大教会内部
教会内部の美しいステンドグラス
分かりますね。これ、日本でやったら、受けるでしょうね。お幸せにね

戦争証跡博物館
 読んで字のごとく、「戦争証跡」博物館である。ベトナム戦争の歴史を実戦で使用された戦車、大砲、爆弾などの遺物、写真、パネル、枯葉剤による被害状況の記録等々によって展示している。目を覆いたくなるような展示の相当数をカメラに収めたが、怒りと涙でここに載せ続けることができなかった。救いになるのは、子供達の描く絵であった。

戦争証跡博物館
博物館の屋外には戦闘機、戦車、砲弾の類が野ざらしで陳列されている。右側は巨大ヘリコプター CH-47 Chinook
軽量ジェット戦闘機 F-5A Jet Fighter
展示パネルの中には日本のものもあった
砲弾の展示
子供のための平和
少しはホッとします
少しはホッとします
ホーチミン市のチョロン(中華街)にある聖方済各華人 天主堂(別名、聖フランシスコ・ザビエル教会)。フランス植民地時代の1900年に建てられたネオ・ゴシック様式のカトリック教会である

ホーチミンの水上人形劇
 旅行記などによると、水上人形劇(Water Puppet)の起源については、定説が無いそうだ。難しい話をすると、9世紀の中国・宋代にまで遡る説などがあり、一旅行者の手におえる話ではない。ハノイのそれが有名だと旅行ガイドブックに書かれていたが、ホーチミンでもフエでも楽しもうっと」。凝り性と言うか、もはや病気である。
 ホーチミン市で、最も大きく代表的な水人形劇場はゴールデンドラゴン水上人形劇場Golden Dragon Water Puppet Theatre (別名:ロンヴァン水上人形劇場)である。ホテルをとったベンタイン市場近くから徒歩で15分ほど、主要観光地の「統一会堂」の直ぐ近くとアクセスが良かったので、前もってチケットを買っておいた。それが良かった。水上人形劇の開演は17時および18時30分からの50分公演であったが、両公演ともほぼ満席状態であった。入場料は一席15万ドンくらいだった気がする。日本円で1000円に満たないのだから本当に安い。
 ベトナムの民話、伝説、神話などを題材にした物語が伝統楽器の生演奏と歌をバックに進む。同時進行で、長さ30~100センチメートル、重さ1~5キログラムの人形を水上でテンポ良く、あるいはダイナミックに、そしてコミカルに動かし続ける。高い技術力を必要とするこの水上人形劇は、まさに永く受け継がれてきた伝統文化と言えよう。
 

Golden Dragon Water Puppet Theatre「金龍水上人形劇場」
水上人形劇

ホーチミン
 今日もホーチミン市の市内観光である。ホテル近くの界隈を稼ぎ所にしているバイクタクシーのおじさん達も声をかけてくる

何度かお世話になったバイクタクシーのおじさん
玉皇殿(福海寺)が見えてきた
玉皇殿(福海寺)は、20 世紀初頭に広東人移住者のために建てられた寺院で、現在も道教と仏教の両方の信者が訪れる。願掛けとして亀を放す習慣があるそうで、そのせいか、別名「亀の仏塔」とも呼ばれている
熱心な信者
亀がうじゃうじゃ。こんな言葉、あったかな?
サイゴン大教会の横にある中央郵便局
サイゴン中央郵便局は天井が高く、美しいアーチを描いている
舎利寺(サーロイ寺)
1744年に建てられたホーチミン市内最古の仏教寺院である覚林寺(ヤックラム寺)
覚林寺には七重の塔がそびえ立っている
お墓のあるエリアを更に奥に進むと大きな白い仏像が安置されている
布袋さん

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