ベトナム・ハノイ

フエからハノイへ
 ホーチミン市からフエへの移動で待望の夜行寝台列車を経験したので、フエからハノイへはフライトを選んだ。“ご学友”とは、夜に会うことになっているので、ハノイのホテルへチェックインを済ませた後、たっぷりと時間がある。今回は約束の時間もあるので、観光は郊外から始めないでハノイ市街の中心にあるホアンキエム湖辺りからブラブラを始める。

エフーバイ国際空港

 ホアンキエム湖の東岸から湖を眺めると、玉山島に建つ神社「玉山祠」が目に入る。玉山島は古くは象耳島、11世紀初めに玉象山、13~14世紀には玉山と名前の変遷を重ねている。これだけの名前の変わり様は、背後に多くの歴史的ストーリィ、多くの伝説が存在したことを意味する。ガイドブックによると、黎朝末期(1746年)には中国三国時代の英雄である関羽を祀る武廟が建立されたこともあるそうだ。
 玉山祠に向かうと、最初に「福」と「禄」の大きな赤い字が書かれた門が建っている。著名な儒学者、グエン・ヴァン・ズーの筆によるもので、福は幸せを、禄は豊かさを意味している。この字を挟むように黒字で縦書きにされている詩文は、人材育成の重要性などが書かれているそうである。この門をくぐると、「筆塔」、「徳月樓」と記された門などが続く。

街の雑踏、オートバイ、…、ホーチミンと比べると静かではあるが、やはり首都である
シクロも走っていて、短距離の移動に便利である
最初の門は「福」と「禄」の文字が大きく書かれている
次に、右に龍、左に虎の絵を配した門。昔、科挙合格者たちの名前をここに貼り出していたそうだ。虎も龍も、これから世の中に出て活躍するという、儒教の考えを表している
「徳月樓」と記された門。中国の四つの神獣である四霊(龍、鳳凰、麒麟、亀)の麒麟と亀が描かれている。それぞれ、皇帝、繁栄、吉兆、長寿の象徴を表す
一対に置かれたオウムの像。女性のそばで女性が言ったことを繰り返し、真実を話すことの大切さを教えたというオウムの伝説がある

ホアンキエム湖の伝説
 別名「グオム(剣湖)」と呼ばれる湖、ホアンキエム湖に伝わる伝説をご紹介したい。1428年、黎朝(れちょう)の始祖、黎利(レ・ロイ)は、湖に棲む亀がもたらした神剣を使ってベトナム(大越国)から明軍を駆逐した。後に、湖の中の小島でそれを返したが、現在、亀の塔が建っている場所がその場所だと言い伝えられている。因みに、ホアンキエムとは「還剣」という意味である。
 1968年、ホアンキエム湖で体重250キログラムの大亀が捕獲された。説明によると、剥製の体長は180センチメートル、胴回り120センチメートルもあるそうだ。「レ・ロイが宝剣を返した伝説の亀ではないか」と話題になり、剥製にして玉山祠に祀られている。

玉山祠に展示されている亀の剥製
玉山祠での撮影シーン

もう少しだけハノイ市内をブラブラ
 “ご学友”と会うまでもう少し時間があるので、ブラブラを続けたい。

フランス統治時代の1911年、パリの「オペラ・ガルニエ宮」を模して作られた市劇場。この写真に似たパリのそれを探したが、見当たらない。パリにもう一つのオペラの殿堂「バスティーユ」がオープンするまで、「オペラ座」では少なくとも20回は観て(聴いて)いるはずなのに
日本人も活躍している
市劇場の正面階段
シクロ
ベトナム国立図書館
図書館内部の検索室
館内の売店
ホアンキエム湖から2ブロックほど離れたニャーチュン通りとリー・クオックスー通りが交差する広場に建つハノイ大教会(セント・ヨセフ大聖堂)。1886年仏教寺院の跡地に建立された塔の高さ31.5メートルのハノイで最も大きなカソリック大聖堂。主要な建築材料は煉瓦とタイルだそうだ
広場の中央には “REGINA PACIS(平和の聖母)”と書かれた台座に立つ、幼いイエスを抱いた「聖母マリアの像」がある
教会内部の美しいステンドグラスはイタリア・ベネチアから運ばれてきた
李南(リーナム)帝(544~548年)の時代に「開国時」の名称で建立された.ベトナム最古の寺である。17世紀に現在のタイ湖畔の小島に移され、「鎮国寺」と改称された。細身の塔が際立つ
旅の友達 。実はこの貼薬は365日間、お世話になっている

古都ホアルー
 昨夜は、“ご学友”と痛飲した。彼はいわゆるハイソな方々とお会いできる立場にあるのだが、「今後のベトナムの政治的、経済的諸問題」などと言う話は一切出ない。学生時代に土木工学を学んだせいか、せいぜい、「こんなに豊かな水資源を持ちながら、どうして為政者と言うのは、原子力発電所の建設などに興味を持つのだろう?」といった話をしたぐらいで、若かりし頃のやんちゃな時代をふりかえる“年相応の”話を楽しんだ。「どんな内容?」。「二人のヒミツ!」。
 今日は、郊外に出て、「古都ホアルー」や「景勝地タムコック」を訪ねる現地の英語版ツァーに参加している。「ホアルー・タムコック・ツァー」と称するそれで、 日帰りで26US$であった。
 ホアルーは、建都した986年からタンロン(現在のハノイ)に遷都される1010年まで丁(ティエン)朝の都が置かれた場所である。詳細は割愛するが、解説書によると10世紀半ばに地方豪族のディン・ボ・リン(在位968~980年)が北部ベトナムを統一して独立王朝ダイコヴェットを建国した。その都ホアルーの中心地は、現在のディン・ティエン・ホアン祠と2代皇帝レ・ダイ・ハン(在位980~1005年)祠が建っているあたりと考えられている。因みに、ディンティエンホアンは、丁朝の初代皇帝である。

ディン・ティエン・ホアン祠の入口付近につながれていた牛。可愛い、友達になりたい
ディン・ティエン・ホアン祠入口
ディン・ティエン・ホアン祠
本堂の屋根部分のアップ
ホアルーの神社に祀られているディン・ティエン・ホアン(在位968~979年)
古都ホアルーの入口にある楼閣

タムコック
 「タムコック」とはベトナム語で「3つの洞窟」という意味で、それらの奇形な石灰鍾乳洞が連なる洞窟を巧みにくぐり抜けながら小舟が進む。竹で編んだ小舟に乗ってお姉さん、おばさん達が手と足を使って器用に櫂を操る姿は、周りの景色以上に観光客のカメラが向けられている。お姉さん、おばさん達と表現したのはジョークではなく、ボートの漕ぎ手は女性が多いのである。

雨模様の中、出発
洞窟の中
動画でないのが残念。この水上マーケットのおばさんは見事な足(脚)さばきで商売繁盛
船着場
舟から降りて、ここは陸上マーケットである。今日の「ホアルー・タムコック・ツァー」は、これで終了、明日のハロン湾観光」に備えよう

ハロン湾観光
 昨日の「ホアルー・タムコック・ツァー」に続いて、今日も現地発のツァーに参加した。08 :00~19:30の「ハロン湾日帰りツアー(英語)」である。バイチャイのクルーズ船乗り場まで自分で行かなければならないが、いわゆる混在ツァー(英語ツァー)なので一人49US$と意外に安い。
 ハロンという地名は、ハ;降りる、ロン;龍を意味している。ガイドブックによると、かつて周辺国の侵略に悩まされていたこの地に龍の親子が降り立ち、敵を打ち破って宝玉を海に吹き出した。これが奇岩となり、その後、外敵の侵入を防いだそうだ。伝説ではあるが、実際に神秘的な景色を観ると、1994年にユネスコの世界遺産に登録されたことに納得がいくであろう。そして自分なりの、貴方なりの想像が、キャンバスに筆を走らせ、文字になり、音符になるのだと思います。伝説はあなたが創るのです。

ここでチケットを買って乗船する
中型船乗り場
小舟に乗った観光客相手に果物を売る小舟果物屋さん
幻想的風景が続く
カヤックを楽しむ人も
こちらは小型船の船頭さん。眠りながら櫂を漕ぐプロの技である
夕方4時半頃のハロン湾の風景である
これも同じ時間帯の風景である。「子連れ、孫連れ水上マーケット」と勝手に名付けたが、なかなかの人気である

日にち変わって、チュア・フォーン(パヒューム・パゴダ)ツァー
 一昨日の「ホアルー・タムコック・ツァー(英語)」、昨日の「ハロン湾日帰りツアー(英語)」に続いて、今日は「チュア・フォーン(香寺)」観光である。似た様な観光内容であるが、乗客が違うと空間の風景も異なり、要は楽しみ方次第である。
 チュア・フォーンは、フォーン・ソン(香山)に散在する13の寺をまとめて呼ぶ名称である。私が参加した現地ツァーは、ガイドが英語を使って説明するツァーのせいか、欧米人が多かったのだが、皆さん、「パフュームパゴダ」とも言っていた。確かにその名の通り、“香り漂う洞窟寺院”である。ハノイからツァーバスで1時間30分ほどでベトナム国立公園のソンタイの町にあるクルーズ船乗場に到着する。個別に25,000ドンのチケットを買って乗船し、検閲官が来てチェックしてから出港許可となる。
 いわゆる水墨画のような景色が続き、30分ほどで下船を促され、名前の分からないお寺を全員でさっと見学、舟に戻って移動開始。何か急がされる感じであるが、一部で洞窟の中をくぐるので潮の干満に合せているのかも知れない。それから1時間は似たような景色が続き、皆さん、シャッターを押すのに飽きた頃、香山のふもとへ着く。舟を下り、昼食をとってから「30分後にゴンドラ乗場に集合」の説明を受ける。方向音痴の私目は、パーティからはぐれることを恐れて、参道の店を冷やかしながら早めに移動する。
 ゴンドラ乗場は大変な込み様であるが、上空から見下ろす風景は、その価値が十分にある。そして下界は、店、店、人、人である。時間を忘れるほど楽しかった。その時間の問題がこの後、生じてしまった。詳しくは、写真の後のセクションで。

手漕ぎ舟への乗船開始
船頭さん
最初に見学した名前の分からないお寺
幻想的風景が続く
舟が込み合ってきて、競争が始まる。同乗の青年3人が紙幣を出して賭けをしている。札の絵柄は確認していないが、こんな時でもベッティングをするのは絶対に英国人だ。10ポンドかけても良い。
香寺のある岩山に到着
凄い込み様
舟を降りてからは、まずは腹ごしらえ。…。賭けをしていたのは、ウエストエンドに棲む連中だった。勝ったヤツに「おめでとう」とスラングで話しかけたらソーセージを一本くれた。まさに、英国人だ
私の船はどれだろう
ゴンドラ乗り場へ向かう。凄い人出だ
ゴンドラ乗り場
絶え間なく動いているゴンドラ
ゴンドラからの景色
ゴンドラを降りると参道に店が続く。「南無阿弥陀仏」の石碑
現在、19時24分、そろそろハノイへ戻るバスの発車時間である。さようなら

ハノイの水上人形劇に間に合った
 ハノイのディンティンホアン通りにある水上人形劇場は、1956年、英雄ホーチミン主席が子供達のために建てた劇場である。この種の観劇、オペラ、音楽などは、旅の目的そのものになるほど凝ってしまう私目は、息を切らせてここに辿り着き、隣の席の人に「大丈夫か」と言われて、「ソ・ソーリィ」である。実は、朝から出かけていた「パヒューム・パゴダ・ツアー」の運行に遅れが生じて、水上人形劇の開演時間に間に合わなかったのだ。ツァーの終了場所までバスが行くと、完全にギブアップだったのだが、ガイドに「実は水上人形劇を予約してあって、…」と伝えたところ、運転手と相談してバスを迂回して水上人形劇場の前で止めてくれたのだ。申し訳ないので、ツァーメイトの皆さんにお礼を言ったところ、拍手を受けてしまった。「皆さん、ありがとう」。

ベトナムの水上人形劇
 いきなりですが、“ご学友”によると、「ここの水上人形劇はお前が昔から凝っている“現在の日本の文楽”とは趣を異にする。もともとはベトナムの農民たちが農閑期に行っていた土着性の強い娯楽だ」。ますます興味を持った。「玉男」「蓑助」、「志寿太夫」の洗練された芸もさることながら、「土着性」と言う言葉には、いつも引き付けられる。「土着性」や「ローカリティ」とは、ある意味、“多様性の重要な構成要素”であり、…、そうであるならば、水上人形劇は ベトナムの地方ごと、村ごとに異なるはずだ。しかし、複数回の水上人形劇を見たわけだが、まだまだ、入口に入ったばかりで論を続けるには無理がある。基礎知識をもっと身につけなければ、理屈もさることながら舞台の空間に漂う空気をもっと吸わなければ、…、そのためにもっと通わなければ。
 ところで、“ご学友”から教わった知識を忘れないようにメモしておかなければ、忘れてしまう。このようなことだったと思う。
 使われている人形はイチジク(無花果)を材料として作られたものだ。ベトナム北部では、イチジクは、若葉は豚のエサ、果実は魚のエサ、塩漬けされて農民の食料になる。「イチジク万歳」。いやっ、ここで感心しては駄目だった。いちじくの幹は5~6年で直径20~25センチになり、人形を彫るのに使用されるそうだ。一座の職工が手作りするため、劇団ごとに姿形や衣装が異なっているそうだ。
 納得。早速、誰かに教えてあげよう。

水上人形劇場入口
水上人形劇
まさにエキゾチックな鳴り物

ハノイの皆さん、ご学友Gちゃん、Mr.ベッティング、船頭さん、ありがとう
 ハノイでは、街そのもの、そして近郊の観光資源の豊富さに驚きました。そして、ベトナムが世界第2のコーヒー生産国の名に恥じない、良質のコーヒーを提供する国であることを改めて認識させていただきました。やはり、人である。私ごときがコメントするのもなんであるが、時として町ですれ違う中年・老年のご婦人の凛とした美しさ、エレガンスと言っても良いような気品ある美しさ、普段着からあの気品を醸し出すとは、…、やはり、心か。
 最後は、わが“ご学友”にあらためて感謝。JALホテル近くのコーヒー店で求めたあのコーヒー。一時は、我が家の誇る英国仕込みのミルクティを凌いでいたのだが、こっちではあのコーヒー豆の入手が難しい。送ってくれ。

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