アヌラーダプラからダンブッラへ
アヌラーダプラを楽しんだ後の予定は、「アヌラーダプラ」→「シーギリヤ・ロックSigiriya Rock(獅子山)観光」→「ポロンナルワPolonnaruwa」→「ダンブッラDambulla」と、いずれもダンブッラを起点としたバスによる移動が便利である。最初は、アヌラーダプラからダンブッラへインターシティバス(Intercity bus…決められたバス停のみ停車するA/C付き特急バス)で1時間半で移動し、ダンブッラに数日間、宿泊する。ダンブッラ・バスセンターからシーギリヤへは30~1時間に1本運行、片道45分、Rs.30と十二分に日帰り観光が可能である。
シーギリヤへ向かう
ということで、今日は「シーギリヤ・ロック(獅子山)日帰り観光」である。200メートルもの巨大な一枚岩、階段数はなんと1,200段にも達する岩の山である。
英国の統治下にあった1875年、この赤褐色の岩山を望遠鏡で眺めていた英国人が鮮やかな色彩を見つけた。 後に“シーギリヤ・レディ” と名づけられる1400年の眠りから覚めた18人の美女達であった。父を殺し強引に王座に就いた若き王子(カーシャバ王)は、弟の復讐を恐れて築いた城に棲み、孤独と狂気の中で生き、ついには自ら命を絶った青年の生き様とは?殺害してしまった父の霊を鎮めるためにこの美女達の壁画を描かせたと言われているが、彼女らが誰であるかは定かではない。そして、今、我々は狂った王が残した最高傑作“シーギリヤ・レディ”にどう向き合えば良いのだろう。
1982年に世界遺産に登録された。
シーギリヤ博物館
日本のJICAの援助で建てられた博物館。シーギリヤおよびその周辺からの出土品、シーギリヤ・レディのフレスコ画のレプリカなどが展示されている。本物のシーギリヤ・レディはストロボを使用しての写真撮影が許されていないが、ここのレプリカは撮影可である。
シーギリヤ・ロックに登るには、先ずここでチケットを購入しなくてはならない。
蓮の水路
なかなか見所のある博物館で、多くの観光客が写真を撮っていた。シーギリヤ博物館を出てすぐの所でシーギリヤ・ロックの遺跡入場券US$30(Rs.3960)を買い求め、チェックを受けた後に城壁の中へ入場できる。城壁の周りに「蓮の水路」と呼ばれる水路が続くのであるが、早速、面白い話を聞かされた。冗談だと思うが、かつて蓮の花で埋まった蓮の水路Lotus channelにはワニが住んでいて、水路に落ちた人は戻ってこなかったという。水路はシーギリヤ・ロックとその庭を取り囲む城壁の周りにあることを考えると、結構怖いものがある。
シーギリヤ・ロック
「蓮の水路」から城壁を通って「水の広場」へと向かう。入口から整備された庭園を通って岩山の入口までまっすぐな小道が通っている。いよいよシーギリヤ・ロックだ。私も含めて皆さん興奮している。
以下に、美女のフレスコ画(シーギリヤ・レディ)の掲載を続ける。嬉しいことに、ストロボ撮影は作品の保護のために禁止されているが、ノー・フラッシュであれば、撮影は許されていた。
鏡の回廊
フレスコ画を見ながら登って行くと、鏡の回廊Mirror wallと呼ばれる回廊が見えてくる。高さ約3メートル、鏡のような光沢を持つ壁である。説明書によると、構造材料としてレンガを組み合わせて漆喰を塗り、その上に多量の卵の白身と蜂蜜と石灰の混合物を上塗りして、その表面を丁寧に磨き上げて作り上げたものである。当初は反対側の岩壁には美女たちのフレスコ画があって、ちょうどミラーウォールに映る仕掛けになっていたと言う。ご自分の姿を写して美女になっていらっしゃるご婦人が多く、交通渋滞になっていた。
ライオンの入り口
一人で鏡の回廊に映った美男子?に見とれていて相当時間が経った。猛々しい気分になって、階段をさらに昇って岩山の北側の広場に向かう。ここには『ライオンの入り口』と呼ばれるライオンの爪の形をした宮殿の入り口がある。現在は足や頭が無くなっているが、階段を上っていくと、ライオンののどに吸い込まれる感じになるそうだ。お坊さんのお話だと、シンハラ語で、ライオンは「シンハShinha」、のどは「ギリヤGiriya」、ライオンののどは「シンハギリヤShinhagiriya」となり、これが「シーギリヤ」に変化したのだと教えられた。「ありがとうございます」。
思い出していただけたでしょうか?シーギリヤ・ロックの最初の部分で御紹介した「上から見た水の広場」は、この王宮跡の近くから写したものである。