スリランカ・アヌラーダプラ

長距離移動
 途中、道草をしながら、日本→中国・上海浦東国際空港→中国・昆明長水国際空港と飛び、今日はスリランカのバンダーラナーヤカ国際空港である。この空港は、スリランカ最大の都市コロンボから北に約35キロメートルの距離にあり、コロンボ国際空港やカトゥナーヤカ国際空港とも呼ばれている。この名称は、元首相のソロモン・バンダラナイケに由来する。
 明日以降の旅程としては、いわゆる「文化三角地帯(Cultural triangle)」と呼ばれるヘリテージ、特に古代遺跡が集中するエリアを中心に廻り、最後にコロンボ経由でインドへ渡る予定である。都市としては、スリランカのほぼ中央部に位置する、『アヌラーダプラ』、『シーギリヤ』、『ダンブッラ』、『ポロンナルワ』、『キャンディ』そして『コロンボ』などを訪問する予定である。
 今晩は寝るだけなので、ホテルの質にはこだわらない。いわゆるトランジット宿で十分だ。①空港から近いこと、②明日の『アヌラーダプラ』への移動が容易であること、③長距離バスの停車場に近いこと、…??と迷っていたところ、お坊さんが教えてくれました。今日のお助けマンである。今日だけではない、この国ではお坊さんが尊敬され、知識も豊富であることから、私も何度か助けてもらった。
 空港から一番近い都市はニゴンボで、南側にあるバスセンターまでタクシーかスリーウィラーThree Wheeler(自動三輪車。タイではトゥクトゥクと 呼ばれている)で約30分、Rs25前後、その近くにある「M. ホームスティ」という格安の宿を勧められた。宿からバスセンターまでなんと徒歩5分、『クルネガラ』経由で明日の訪問予定地である『アヌラーダプラ』までのバスが発着する所でもあることを確認した。助かった、爆睡。

コロンボ・バンダーラナーヤカ国際空港(Colombo Bandaranayike Intnl Airport)に到着。仏像を見ると、思わず手を合わせた

文化三角地帯(Cultural triangle)とは
 スリランカの中央部にあるアヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディの3つの都市を結んでできる三角形の内側は、世界有数の遺跡群が残る「文化三角地帯(Cultural triangle)」と呼ばれるエリアである。世界遺産であるシーギリヤ・ロックのほか、ダンブッラの石窟寺院など、多くの見所がある。注目すべきは、現在でも旅行者を含めて多くの訪問者の祈りの場となっていることである。これはインドの歴史とも深く関係するが、北からのインドの侵攻によってスリランカの歴代の仏教王朝が南側へと遷都を重ねた結果、その遺跡とともに伝説などが語り続けられてきたせいであろう。私達は“旅の醍醐味”を求め、世界各地を訪れているが、モーチヴェイションとなっているのは、何であろう?私の場合は、ここで言うと、まさに“文化三角地帯”に伝わる“伝説”への好奇心である。

シンハラ王朝最初の首都・アヌラーダプラ
 アヌラーダプラは今から2,500年以上前、紀元前500年頃、シンハラ族の先祖とも言われるウィジャヤ王によって建設されたアヌラーダプラ王国の首都である。首都として1,400年もの間栄え、現在でもたくさんの遺跡が残されている。この歴史を深堀(ふかぼり)していくと、シンハラ人とタミル人の抗争の歴史の叙述になってしまい、ここのブログの話題としては重すぎ、暗くなってしまうので、ここでは旅の話へと移動して軽く行きたい。
 スリランカは全国民の74%を占めるシンハラ人(主に仏教徒)、全国民の18%を占めるタミル人(主にヒンドゥー教徒)、スリランカ・ムーア人などの約2,000万人が住む多民族国家である。シンハラ人は、紀元前483年に北インドから上陸したアーリア系(インド・ヨーロッパ語族)の民族とされ、タミル人は主に南インドに住むドラヴィダ系(ドラヴィダ語族)の民族とされている。公用語はシンハラ語とタミル語だが、両民族間をつなぐ一種の連結語として英語が使われている。因みに、「スリランカ」とは、シンハラ語で「光輝く島」という意味だそうだ。

ニゴンボから経由地のクルネガラへ向かう時に乗ったA/Cバス。クルネガラで乗り換えてアヌラーダプラへ行く

ニゴンボからアヌラーダプラへ
 ニゴンボでお世話になった宿のお兄さんにスリランカのバスについて教わった。エアコンバス(A/C bus)が運行している場合は、必ずそれに乗ること。バス前面のプレートの右側にA/Cと書いてあるのがエアコンバスで、他のバスよりも早く目的地に着くそうだ。面白かったのは、運転手の後ろの席はお坊さんの最優先席だそうだ。しっかりとわきまえます。
 そう言うことで、今日は、文化三角地帯の一角、アヌラーダプラへ向かうのにクルネガラ経由のA/Cバスに乗る。

バスチケット
チケットを求めた時に車掌から渡されたのだが、乗客がお釣りをもらっていない証拠だそうだ。私がこのメモを持っているということは、お釣りを未だ貰っていないと言うことか、よく分からない
バスの中の売り子(おじさん?)。オレンジジュースRs120、蜜柑5個でRs100。ここで、Rs.1=0.8484円
バスの係員が書いてくれたバスルートのメモ

アヌラーダプラの市内観光
 ダーガバ(仏塔)、イスルムニヤ精舎 (精舎の高台から遺跡地区が見渡せる)、ミリサワティ・ダーガバ、スリー・マハー菩提樹、ルワンウェリ・サーヤ大塔、等々。バスルートをメモしてくれたバスの係員が私に勧めてくれた”アヌラーダプラの見所”である。さすがに多くの旅行客を案内してきたヴェテランで、これ等の見所を回った後に、的を得た場所を勧めていると感心させられた。

ジェータワナ・ラーマヤ
 ジェータワナ・ラーマヤ   Jetavanaramaya。スリランカの古事記とも言われるマハーワンサ最終章に登場するマハーセーナ王(334~361)の命により3世紀に建立されたものである。原型は、高さ122メートと言われるが、現在の高さは約70メートルと言われる。

ジェータワナ・ラーマヤ
細かく彫刻が施されている
拡大した画像

イスルムニヤ精舎
 イスルムニヤ精舎Isurumuniya Viharaは、通称「ロック・テンプル(石の寺)」と呼ばれるもので、大きな岩盤をくりぬいて造られた寺院である。本堂には肌が黄色に塗られ、赤い袈裟衣をつけた涅槃像が横たわっている。

イスルムニヤ精舎の本堂内に横たわる涅槃像

 

古(いにしえ)の僧達の沐浴場クッタム・ポクナ(ツイン・ポンズ)

サマーディ仏像
 解説書によると、「サマーディ仏像Samadhi Buddha」のサマーディとは、サンスクリット語が語源で、深い瞑想のもとに精神集中を極めた時に到達し得る境地、いわゆる悟りの状態を意味するそうである。その対極にいるような私目は、せっせとお寺通いをしているのであるが、…。今日は、助けを求めるべく「サマーディ仏像」におすがりしたい。
 サマーディ仏像は、前掲のクッタム・ポクナ(ツイン・ポンズ)から歩いてすぐの所にいらっしゃる気品のある美しい仏像である。お堂はなく、一体の仏像が鎮座して瞑想しているだけある。「正面・左・右、見る角度によって仏像の違った表情が見られる」と解説されているが、そう言われてみるとそう思えてくる、まさに仏像様である。「4世紀の完成当時は背後に菩提樹があったそうだ」などと言われると、ますます神秘的に見えてきます。いゃ、ますますお優しく…、そしてその表情はとても穏やかです。

サマーディ仏像、4世紀の完成当時は背後に菩提樹があったそうだ
瞑想するサマーディ仏像。正面・左・右、見る角度によって仏像の違った表情が見られる
「仏像に背を向けて写真を撮ってはいけません」の掲示 
仏像の土産物屋

アバヤギリ大塔
 紀元前1世紀頃にワッタガーミニ王の命を受けて建設された巨大な仏塔(ダーガミ)が見える。大乗仏教の総本山として信者の信仰を集めたアバヤギリ大塔である。ガイドブックによると、王はタミル軍にこの地を追われて14年間、屈辱的な扱いを受けた報復としてジャイナ教寺院を破壊し、その跡にこの寺院を建てたと言われている。建設当時は高さ110メートルであったが、現在は75メートルと記されていた。

紀元前1世紀頃に大乗仏教の総本山として信者の信仰を集めたアバヤギリ大塔
アバヤギリ大塔では履物を預けてから入場する

トゥーパーラーマヤ・ダーガバ
 トゥーパーラーマヤ・ダーガバThuparamaya Dagobaは、紀元前3世紀、デワナンピヤ=ティッサ王の時代に建立され、釈迦の右鎖骨が祀られていると言われている。その後、19世紀半ばに再建され、現在の釣鐘型の白亜の仏塔になった。周りに多数の石柱が建っているが、ダーカバに屋根を付けるために建てられたと言われている。ベル・シェイプ(釣鐘型)の高さ19メートルの白いダーガバで、アヌラーダプラデハスリー・マハーと並ぶ聖地である。

ダーガバの周りに屋根を付けるために設置した石柱が残っている
トゥーパーラーマヤ・ダーガバ。19世紀半ばに再建され、現在の釣鐘型の白亜の仏塔になった

ルワンウェリ・サーヤ大塔
 不謹慎な言い方かもしれないが、『ルワンウェリ・サーヤ大塔Ruwanwelisaya』は、役者の姿?を彷彿とさせる。『アヌラーダプラ』の遺跡地区という由緒ある舞台への登場の仕方からして、バチっと決まっている。白い像の胸元を赤と金の帯で締めて、そのシンメトリーな大柄の形状を天にそびえたたせるように、石畳をゆっくりと登場するのである。右側にローハ・プラサーダLoha Prasadaと名づけられた40列、各40本の石柱群が建つ花道を静かに渡ってくるのである。
 いたずらが過ぎました。ちょっと気障すぎると言うか、ダサい表現でした。ここは紀元前2世紀にドゥッタガーマニー王によって建てられた僧院の跡である。アヌラーダプラの三大ダーカバと呼ばれる『アバヤギリ』、『ジェータワナ・ラーマヤ』と並んで人気を博する『ルワンウェリ・サーヤ大塔』である。白く見えるのは、レンガの上にしっくいを塗ったせいであり、中には仏舎利が納められている。

アヌラーダプラのシンボルとなっているルワンウェリ・サーヤ大塔 Ruwanwelisaya。残念ながら逆光で灰色に見えてしまう
お祈り
大塔への入り口の左右に象や獅子の装飾がある壁面のレリーフ
王の家族 King’s family
Stone seat
ドゥッタガーマニー王の息子のサーリヤ王子と恋人のマーラと言われる「恋人の像」。この愛はカーストの違いのため周囲から反対されたという
6世紀から8世紀に彫られたアプサラ像

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