ネパール・カトマンドゥ(1)

大都会のカトマンドゥ 
 人口45万人のネパールの首都カトマンドゥ。ホテルのスタッフは「人よりも神々の方が多く住む町」と教えてくれたので、ましてやネパールという工業化されていない国なので、穏やかな空気の澄んだ町だと勝手に思い込んでいたのだが、ポカラから来てみて、そのイメージが吹き飛んだ。車やオートバイの増加による交通渋滞、大気汚染が著しい大都会である。
 市内の移動には、リキシャーと呼ばれる一種の人力車があるが、外国人に対しては料金を吹っ掛けてくるので、気分を害する人達も多い。タクシーもメーターを倒すドライバーは少なく、結局、乗車前の値段交渉が必要になる。どうする?ある程度の慣れが必要になるが、私は10人乗りの「テンプー、tempo」と呼ばれる小型オート三輪を多用した。バスのようにルートを持つが、始点と終点以外は決まった停留所が無く、降りたい場所で「ストップ」とか言って自由に降りることができるのである。これだけの説明だと難しく感じるかもしれないが、乗る時も降りる時もその場所が載っている「…歩き方」の写真を運転手か乗客に見せるのである。要するに「甘えの必殺技」である。誰かが助けてくれます。

旧市街をブラブラ
 カトマンドゥの旧市街と呼ばれるタメル地区の中心(Thamel Chowk)近くにホテルをとった。ポカラからここへバスで移動した際、同乗した日本人の青年が教えてくれたのだが、カトマンドゥでホテルを選ぶ基準は、「汚れていないきれいな水が出ること」だそうだ。「中級クラスのホテルでも茶色の水が出ることがあるので、むしろゲストハウスで水を出してみてから決めた方が良い」とのアドヴァィスだった。人の話は聞く方なので、通電(停電)の状態と水の色を確認して、ゲストハウスを選択した。予定の宿泊費の半額で済んだ。
 私のような方向音痴でも、というよりもゲストハウスのおばさんからの受け売りであるが、あまり迷わずにカトマンドゥの街歩きをするコツは、いくつかの有名な「チョーク」の位置を頭に入れておいて、それらを目的地にして移動することである。チョークChowkの定義は、ガイドブックなどには中庭Backyard、ラウンドアバウトRoundaboutなどと書かれていてるが、私的には勝手に、“建物に囲まれた中庭や広場”とか“バザール”のイメージを抱いている。これから出かけるカトマンドゥの街歩きの要領で言うと、スタートは①タメル・チョークThamel Chowk→②タヒティ・チョークThahiti Chowk→③アサン・チョークAsan Chowk→④アカシュ・バイラヴ寺院Akash abhairav Mandirのあるインドラ・チョークIndraChowk→⑤セト・マチェンドラナートSeto Machhendranath寺院→⑥マカン・トールMakan Toleを抜け→⑦寺院、旧王宮「ハヌマン・ドガ」となる。その予定だったが、例によって途中で狂ってしまった。まぁ、いいさ。

それではご案内します

私はこれでもホテルへの道に迷う。ここから徒歩3分なのに10分かかることもある
信者なのだろうか、道行く人々は道端に建っている祠堂(しどう:この場合は神仏 を祭った小さな 社)を見つけると、手を合わせ、頭を下げる。まるで神様や仏塔にお参りしながら歩いている感じである
ゲストハウス近くの市場にあった野菜売り場。このような屋根の無い色々な店が並んでいる
売り物の名前は忘れてしまいました
これも名前は分かりません
ここでも手を合わせる人達がいます。その信心深さに台湾を思い出しました
金属食器類などの店

ここも金属類。他にもたくさん続く

商店街が続く。商品ごとにまとまっているようだ
「ジャナ・バハルではいかなる宗教の信者でも歓迎いたします」。そのせいか、混雑している
ジャナ・バハルJana Bahaのカルナマヤ寺院Temple of Karunamaya

 

ジャナ・バハルJana Bahaのカルナマヤ寺院Temple of Karunamaya
ジャナ・バハルの入口
マニ車
二層の屋根を持つセト・マチェンドラナート寺院 Seto Machhendranath Temple (Jana Bahal)。ネパール土着の昔からの豊穣神とヒンドゥ教のシヴァ神が融合した神で、建立1408年、600年を越える歴史ある寺院である。接頭語のセトは白色を意味する
アカシュ・バイラヴ寺院。インドラ・チョークの日用品や衣類等が売られている賑やかな交差点にある。2階のバルコニーから4頭の金色の獅子が身を乗り出している姿が勇ましい。寺院の中の神像は9月のインドラ・ジャットラの時に広場に引き出されるそうである
アカシュ・バイラヴ寺院のすぐ左に小さいガネーシュを収めた祠堂がある。ヒンドゥ教の神の一柱で群衆(ガナ)の主(イーシャ)」を意味し、また 「富の神様」として商人から信仰を集めている
シヴァ・パールヴァティ寺院 Shiva Parvati Temple。18世紀後半にゴルカ王朝(シャハ王朝)のバハドゥル王によって建てられた。私が見学した当時は地震対策でつっかい棒が架けられていた。中央上層に見える白く小さい窓にご注目
その窓からシヴァ神とパールヴァティ妃のカップルが仲良く下界をご覧になっている
カスタマンダプ寺院。カトマンドゥの名前の由来となったネパール最古の建築物(12世紀頃の建造)。「カスタマンダプ」とは、「木の家」という意味で、大木 1本から造られたという伝説を持つ
JICAによるシヴァ寺院や関連構造物の再建。以下、関連の写真の一部
旧王宮の中庭。ムル・チョーク

トリブヴァン博物館
 ナサル・チョークの西側に位置し、この奥側が旧王朝である。ネパールが開国した1951年に王であった第8代トリブヴァン王(在位1911年~1955年)に関する品々が展示されている。

トリブヴァン博物館

ダルバール広場
 カトマンドゥを語る時には、「ダルバール広場」は最も露出度の高い場所そして言葉であるのでここにまとめておきたい。「ダルバール」とはネパール語で「宮廷」を意味する。マッラ王朝が君臨した3王国時代には、王宮前の広場として、カトマンドゥ王国の中心であった。パタンとバクタブルにも「ダルバール広場」があり、それぞれ国の中心となって栄えた。
 御存知のように、2015年4月に大地震が発生して大きな被害を被ったが、私がネパールを訪ねたのは2018年10月~11月であり、各国の援助による修復の最中であった。

人気のカール・バイラヴ
 ダルバール広場からインドラ・チョークの方向へ進むと、シヴァ神の化身の一つであるカーラ・バイラヴが多くの人々を集めている。刀を振り上げ、生首をぶら下げている恐怖の神であるが、カーラ・バイラヴの前でうそをつくと即座に死んでしまうと信じられており、17~18世紀には、この像の前に犯罪の容疑者を連れてきてその罪を白状させていたそうだ。写真の表情といい、この話といい、なにかユーモアがあり、旅行客もVサインと笑顔で写真を撮っている。

人気のカール・バイラヴ
信者達は、シヴァの化身である恐怖の神カール・バイラヴに熱心に手を合わせている
ここにも人気者がいた

スワヤンブナート寺院
 スワヤンブナート寺院 Swayambhunath Templeは、カトマンドゥ盆地にある仏教寺院で、ネパールで最古とも言われ「カトマンドゥの渓谷」の一部としてユネスコ世界遺産に登録されている。崇拝の対象が猿であるため、別名、「モンキーテンプルmonkey temple」と言われるくらい野生の猿が多い。後述する「タイトル:ネパール・カドマンドゥ(2)」でも書きますが、寺院とか修道院エリアでは「プラスチック・バッグを使用しないで下さい」の告示が多く見られますが、その理由の一つは、猿対策です。ビニール袋は猿たちの格好の餌食になります。お気を付けください。
 もう一つ。寺院のある上まで登るのに400段の階段が待っています。脚力に自信の無い方でお金のある方はタクシーを利用して下さい。但し、丘の上の駐車場まで行って、そこから緩い勾配を少し歩きます。「Rs500」です。脅かしです。ほとんどのタクシーがそう言ってきます。Rs200は絶対に譲らないように頑張りましょう。そして、お金が無い方は諦めるか、バスでリングロードのスワヤンブーバス停で降りましょう。ここで、私の「甘えの必殺技」を使いましょう。バスのカラシ(集金人)か、周りのネパール人に大声で「スワヤンブー」と叫びましょう。バス停の「スワヤンブー」に来たら誰かが教えてくれます。何とかなります。ごゆっくりと。
 しかし、ここでは未だ「ごゆっくりと」とはいきません。いずれにしても、最終局面では階段が終わりに近づくにつれて勾配が急になり、ようやくストゥーパが目の前に姿を現した辺りはまさに最急勾配です。…、「頑張った」と思ってはいけない。階段を登りきる手前の左側にチケットカウンターがあって行く手を遮るのである。そうです、入場料Rs.200です。でも、とても勉強になる所です、気持ちよく払いましょう。

丘の上に建つカトマンドゥで最古の寺院と伝えられているスワヤンブナート寺院
スワヤンブナート寺院
スワヤンブナート寺院

ドルジェの近くにある白いシカラ様式の寺院は、アナンタプラ・シカラ(Anantapura Shikhara)である。1646年に建てられたものである
 
丘の上のスワヤンブナート寺院から見た眼下に広がるカトマンドゥ盆地
黄金色の仏陀の座像もある
寺院の階段を登った正面にあるドルジェ(「金剛杵」の漢名どおり、非常に硬い金属でできた道具、武器)。ドルジェの台座にはチベット暦の十二支が描かれているが、酉が普通の鳥で、亥が豚というところが日本のものと違っている。リーフレットによると、近くの獅子像と共にプラタップ・マッラ王によって作られたものだそうだ

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